●スンナ派 スンナは
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イスラーム世界は,大別して二つの分派に分けられる。つまりこのスンナ派とシーア派である。そのうち大多数を占めているのがスンナ派であり,それゆえ一般に“正統派”と訳される場合がある。ただしこれはけっしてこの派だけが正統で,ほかが異端であるという意味ではない。これまで教科書などにも,シーア派が異端派であるという記述がまかり通ってきたが,この点は注意を要する。【スンナ派の沿革】ムハンマドの登場以降,それまで部族間対立の虜であり,内部抗争にあけくれていたアラブは,新たな教えの枠組みのなかで統一され,強固なイスラーム共同体をつくりあげていった。わずか100年たらずのあいだに西はスペイン,東はインド亜大陸をうかがう大帝国をつくりあげるほどに成長したムスリム勢力は,初期の段階においては一枚岩を誇っていた。しかしその後イスラーム世界の内部で意見の対立が生じ,各種の分派が登場してくる。それに対して信徒たちは,自らの立場を自己規定しなければならない状況に置かれた。イスラームの分派形成は,宗教的問題に関する神学的見解の相違というよりも,もっぱら政治的意見の対立によって行われる場合が多い。三位一体説を核とするキリスト教の場合,そのいずれを主とおくかといった神学的問題が対立の契機となる例が多いが,タウヒード,つまり“一化”の精神を核とするイスラームの場合,議論は単純明快で,神学的問題は比較的対立を生みにくい。むしろ意見の対立は,政教一致の傾向の強いこの教えの場合,政治的レベルで多く派生してきた。これはけっして神学的論争によって,正統・異端の問題が議論されなかったことを意味するものではない。だが一般にイスラーム世界,とりわけ初期の時代には,政治的問題,端的にはいかなる人物を自らの共同体の長として認めるかという点が対立の発端となり,神学的問題にまで発展していく傾向が強い。分派の派生が政治的原因にもとづく傾向が強いだけ,その本性を説明するためには歴史的な事実に関する言及が不可欠である。歴史的にみて,イスラーム世界でつねに大勢を占め本流の地位にあったスンナ派は,一応理解の便宜上“正統的”なグループと認められてよいであろう。予言者ムハンマドの没後すぐにイスラーム共同体の長,つまりカリフの座についたアブー=バクル以降,正統4代カリフの地位をこのグループはそのまま認めている。ただしアリーとムアーウィヤが争ったスィッフィーンの戦いにおいて,後者との和議を認めたアリーの態度を非とし,そのカリフとしての地位を認めなかったハワーリジュ派,その後アリーを媒介とする預言者の一統のイマームとしての権威を認め,アリー以前のカリフたちの正統性を拒むシーア派などが現れてきた。その段階で,この“正統的”なグループは自らの立場を自己規定する必要に迫られた。その結果,彼らは自分たちを“スンナと共同体の民”と定義したのである。これはムスリムの共同体が受け入れてきたスンナ(慣行,この場合は預言者ムハンマドの聖行)に従う者たちという意味である。
【スンナ派の主張】イスラーム共同体が一枚岩である場合,内部の信者たちはその教えに従って,自己認識を行えば足りた。しかし諸分派が登場するにつれて,自らいかなるムスリムかと規定する必要が生じてくる。その際基本となったのはスンナ,つまり預言者の慣行である。イスラームは登場後預言者の死に至るまで,模範的な共同体としての歴史をもった。その全容は,いかに敬神の念篤く,人格優れた正統的といわれるカリフたちにしても,維持することができなかった。預言者没後の共同体は,それまで予想しえなかった急激な変化に直面し,さまざまな分野で世俗化の萌芽が表れてくる。そのような状況のなかで,単なる精神宗教ではなく,生活の全般にかかわるイスラームの質を,総体的に維持しようとする際に,最も信頼するに足るものはなにか。預言者のスンナは,このような文脈のなかで重い意味をもつことになる。その際,聖行を具体的に目撃し,その精神を生きた人々の合意・集団的意見が重視された。イジュマー,つまり人々の合意の尊重は,この派の重要な特質である。イマームを不謬とするシーア派に対し,イジュマーを不謬とするこの派の考え方の特殊性は,単なる理論的比較でなくその歴史的背景を考慮に入れたうえでなされる必要があるが,ここでは省略する。スンナが問題となる際に当然考慮されねばならぬことは,その普遍性である。共同体内に伝播された預言者の聖行に関する伝承(ハディース)には,いかなる真憑性があるであろうか。スンナの内容自体の確定のため,ハディース学者たちは多大な努力を払って,可能な限り真正な伝承の総体の蒐集に当たる。この学問の成果として,公認の“ハディース集”が選ばれ,あるいはそれを根拠にして法学者たちが独自の法解釈の道を整備していく過程で,スンナ派の自己主張そのものが整備されていくことになる。スンナ派の枠内に入る法学派は歴史的に数多いが,現在ではハナフィー・マーリク・シャーフィイー・ハンバルの四派が公認されている。「六信」といわれる信仰箇条,つまりアッラー・天使・啓典・預言者・来世・予定を受け入れ,「五行」のうちにまとめあげられる基本的義務,つまり信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼を果たし,これらの宗教的義務ばかりでなく,そのほかの日常生活を行うさいに,以上の四法学派のいずれかに従う者が,スンナ派の信者である。
【スンナ派の特徴】初期においてつねに体制派であり,その後も優位を占めてきたスンナ派は,人々の合意(いかなる人々の合意かについては問題も多いが)を尊重した。スンナの解釈にあたり,イマームたちの権威を重視し,彼らの見解を濃厚に反映させているシーア派の場合と,彼らの態度は対照的である。彼らはこの判断の姿勢をもとにして,理想的な時代の慣行を総体的に受容してきた。この派の寛容さ,柔軟さ,自己主張の多層構造はさまざまな過激的傾向を抑止し,イスラームを中庸の教えとする点で大いに貢献している。しかし人々の合意といっても,それが首尾よく機能するのは模範的な先例を真近にもっていた時代のことで,時代が下るにつれて問題が顕在化してくる。世界の世俗化傾向が進むにつれて,法学者たちのそれに対する歯止めの契機を見出しにくくしているが,その結果多くの信徒たちにとって,イスラームとは,単に宗教儀礼を履行すれば足る体の代物になり下がってしまった。この種の退嬰化の原因として,研究者たちはさまざまな理由をあげている。まずはウマイヤ朝時代に,体制擁護の思想となった,信仰を社会的行為と切り離すムルジア派的傾向の蔓延である。第2によく言われるのは,アッバース朝の時代に禁止された人間理性の働きを高度に強調する,ムアタジラ派的思考の停止である。ついで指摘されるのは,世界の世俗化を阻止するために法学者たちが行った“イジュティハード”つまり法解釈の努力に対する,実質的な禁止宣言である。これは元来法の純粋性を損ずるような新たな解釈の阻止を意図したものであったが,これは結果的には絶え間なく変化する現実に対する法学者の知的怠慢をもたらし,彼らをいたずらに煩瑣な訓詁の学に専念させ,イスラームを時代遅れのものとする原因となっている。スンナ派の退嬰,とりわけ宗教学者たちの後進性は,イスラーム世界を西欧植民地主義者の餌食にさせるほどとなった。そこでは徐々に文化意識のレベルでの西欧化が進行し,伝統的価値観は,それが保持していた諸現制とともに風化する傾向が強まっていった。イスラームはほとんど政治的意味をもたず,為政者たちやインテリ層の多くは,その現代への適応性を疑ってきた。文化意識・倫理意識などさまざまなレベルでイスラーム性を保持してきたのは,むしろ一般大衆のほうであったが,最近の潮流は少しずつ風向きが変化しつつある徴候を強く指示している。