●スンナ
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アラビア語で「道」「慣習・世のならわし」「法規」などを意味する。とくにイスラームの術語としては,預言者ムハンマドの「言葉」,「行為」,「暗黙の承認」を意味する。イスラーム以前では,スンナの語は各部族の「先祖代々踏まれてきた道」「慣習法」の意味で用いられていた。『コーラン』のなかでは「昔の人びとのスンナ(先例・慣行)」sunna al-awwallnと「神のスンナ(慣行)」sunna allahという表現で出てくる。〈背信の者どもに言ってやれ「もしやめるなら,過ぎたことは赦されるが,もし繰り返すなら,昔の人びとの先例があるではないか」〉(第8章38)とか,〈お導きがいただけたというのに,何が,信仰にはいり主に赦しを乞うのをさまたげるのか,昔の人びとの先例が自分にもおこり,あるいは懲罰が目のあたりにふりかかるのでなければ〉(第18章55)といった章句の“昔の人びとの先例”とは,神がムハンマド以前にも預言者や使徒たちを各民族に派遣されたが,その預言者を受け入れずに迫害したので,各民族に神罰が下ったことをさしている。また〈たとえ背信者どもがおまえたちに戦をしかけてきても,きっと敗走するであろう。これはすでに過去にあった神のご慣行である〉(第48章23)といった「神の慣行」も,背信者には必ず神罰が下るという『コーラン』に引用されている預言者物語の実例をさしている。イスラームにおいては,通常スンナは「ムハンマドのスンナ」と理解されている。それはムハンマドに啓示された『コーラン』の章句には見えないが,その時々に言った彼のことばとか,彼の実際になした行為とか,人びとが彼の面前でなした行為やことばを暗に認めたと思われるようなことである。ムハンマドの存命中は,信者のあいだで何か解決すべき問題が起これば,そのつど神の啓示を受けて,ムハンマドが解決していたはずである。それは神のことばとしての『コーラン』の章句となって現れる。今度はこの章句が源泉となって,これから多くの行動基準も引き出された。この『コーラン』とは別に,ムハンマド自身も啓示によってではなく,臨機応変に事を処したことも多かったはずである。ムハンマド自身の決断によることもあろうし,アラブ部族社会の良き規範によったこともあろう。それが「良きムハンマドの範例」つまりスンナとなった。ムハンマドの死後は編集された『コーラン』がムスリムの守るべき最も権威ある基準となるが,『コーラン』に明記されていない細目については,別の基準で判断する必要がある。それが「ムハンマドのスンナ」でなければならない。しかし,このスンナはもともと抽象的な概念で,生存中のムハンマドに直接接することのできた広い意味でのサハーバ(教友)自身だけが確認できた性質のものである。サハーバから口頭で次々の世代に伝えられていっても,あくまでも実体はなく,時が経つにつれてこの性格は顕著となる。このようなスンナの実質的な内容が表されるのが,ムハンマドのハディース(伝承)である。ハディースはサハーバから伝えられたムハンマドに関する記述された伝承で,彼の死後100年ばかり経った8世紀のはじめにズフリーによって最初に収集・記録された。その後も伝承学者によってハディース集が編集されたが,ムハンマドのスンナこそこれらハディースのなかにあるとして,シャリーア(イスラーム法)の古典理論を確立したのがシャーフィイー(820没)である。このシャリーアの古典理論では,四法源のなかでスンナは『コーラン』に次ぐ権威として認められている。かくして『コーラン』は勿論のこと,スンナに反することも,スンナにない新奇なこともビドア(逸脱・異端)として否定される。『コーラン』とスンナの関係についてシャーフィイーは説明する。『コーラン』にある規定はスンナのなかで明確にされるが,たとえば『コーラン』にある盗みに対する両手切断の罰の規定は(第5章38),その盗みがごくささいなものなら,罰は適用すべきでないという伝承によって明確になるなど,その他の例証をあげて説明している。