●スルタン=カリフ制 スルタン=カリフせい
AD
オスマン朝スルタン,セリム1世が,1517年エジプトを征服したとき,マムルーク朝スルタンに保護されていたアッバース朝カリフ,ムタワッキル3世を捕えイスタンブルに連行した。1520年,ムタワッキル3世は,セリム1世にカリフの位を提供した。以後,1924年トルコ大国民議会がカリフ制の廃止を決定するまでのあいだ,オスマン一族がカリフ位を継承した。このため,1922年,オスマン帝国のスルタン制が廃止されるまで,オスマン一族はスルタン位とカリフ位を同時に継承したことになり,一般にスルタン=カリフ制と呼んでいる。だだ,オスマン朝の文献によれば,公文書以外ではスルタン称号は使用されず,パディシャー・ヒュキュムダールなどが用いられており,その権力は絶大なものであったため,カリフの威光を付加する必要はほとんどなかった。オスマン朝スルタンがカリフ位を公然と称するのは,19世紀末のアブデュル=ハミト2世のときであり,スルタン権力の全般的低下に対応するために利用されたものと考えられる。