●スール朝 スールちょう
アジア インド AD
北インドに,ムガル帝国を倒してたてられた王朝。ムガル帝国は,バーブルによって1526年に成立したものの,バーブルは約4年後に死に,帝国の建設はその子フマーユーン(在位1530〜1540)にゆだねられた。このフマーユーン時代に,東方ベンガル・ビハールを中心に台頭したのがシェール=シャー(在位1539〜1545)である。彼は,1472年,ローディー朝のもとで,ビハールにいたアフガン系小領主の子として生まれ,父の領地経営に巧みな手腕をみせ,のちに帝国支配にそのときの経験が生かされることとなった。彼の名のシェール(「トラ」の意)は,若いころ一人でトラと戦って勝ったことからつけられたという。バーブルによるムガル帝国成立後バーブルのもとに仕え,ビハールにおける父の領地を改めて与えられた。ビハールを根拠として,ベンガルにあったムスリム政権を攻撃しビハール・ベンガル一帯に勢力をのばした。フマーユーンは,東方におけるシェール=シャーの勢力を倒そうとして自ら軍を率いたが,1539年,ベンガルでシェール=シャーの軍に敗れた。シェール=シャーはガンジス中流域のカナウジから下流一帯の東方を完全に自己の勢力下におさめ,シェール=シャー=スールとして独立した。翌年,カナウジ近郊でフマーユーンの軍を破り,デリーを占領し,ここに北インド一帯にスール朝の支配を確立した。シェール=シャーは北インド平定のための戦いに追われ,1545年,戦いで受けた傷がもとで死んだ。スール朝は,1555年までシェール=シャー以後4代の君主で終わった。スール朝は約15年間の短い期間であったが,アクバル時代のムガル帝国の再建に数々の重要な影響を与えた。シェール=シャーは,その短い統治期間に,行政上の改革を次々と打ち出した。まず,帝国を47のサルカール(県)に分け,さらにそれぞれをパルガナ(郡)に細分した。また,土地調査にもとづく徴税制度や通貨を新たに確立した。