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●スポーツ Sports

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 競争,遊戯的な身体活動,自己の限界をためす型の身体運動,または訓練的要素を含む身体活動の総称。一般に,アマチュアスポーツ・レクリェーション(レジャー)スポーツといわれるものが,この範ちゅうに入り,別にプロフェショナルスポーツ(職業または企業として行うスポーツ)がある。日本の「スポーツ振興法」(1961年制定)では〈この法律においてスポーツとは,運動競技及び身体運動(キャンプ活動その他の野外活動を含む)であって,心身の建全な発達を図るためにされるものをいう〉(第2条)と定義し,“日本体育協会アマチュア規定”では〈スポーツは人々がよりよく生きるために,他から求められることなく,自らの能力に応じて行う自由な身体活動である〉(前文“アマチュアスポーツのあり方”より)としている。

 スポーツには大きく分けて,[1]陸上競技[2]水上競技[3]球技[4]格闘技[5]体操競技[6]冬季における競技があり,個人競技と団体競技に分けられる。また,方法や内容によって,[1]ユニフォームのみでできるもの(マラソン・クロスカントリーその他の陸上競技・レスリング水泳など多数)[2]ボールを中心に競技するもの(サッカー・ラグビーなど多数)[3]ボールと用具を使用するもの(野球・ホッケーなど多数)[4]機材を使用するもの(ヨット・自転車レースなど)[5]用具を使用するもの(スキー・スケート・ボクシング・体操など)などのほかに,[6]馬術や射撃などの軍人競技から発達したものがある。また,海水浴・魚つり・チェスなどをスポーツに数える場合もあるが,ふつうは除外する。

 なお「スポーツ」に類似した「体育」という語があるが,たとえば学校教育用語として「体育」という場合,スポーツは教材の一つであるが,社会教育の場では「社会体育」という語が使われ,広く市民スポーツを意味することばとなる。従って一般的にはそれらに対し厳密な区別はされておらず,ときに応じて広くまたは狭く解釈されているのが現状である。

【スポーツの語源】「ものを運ぶ」といった意味のラテン語 portareが語源で,それに接頭語がついて deportare(悲しい精神状態を捨てさる)となり,これが13世紀ごろフランス語の desporter に,さらに古英語の disport に転化して,略形の sport になった。これらの語には「過酷な労働から気分転換する」といったニュアンスが含まれ,そこが古代ギリシア語である aGon(死闘)から転じた語 aGonize(競技者などが苦闘する)との根本的な相違点である。(aGonについては後述)

 また英語には「競技」を意味する athletics(語源はギリシア語のathla)という語があり,イギリスでは陸上競技に限って用いられ,アメリカではスポーツ一般をさす。

【スポーツの歴史・外国】[古代]スポーツの歴史は人類の歴史とともにあったといえる。例えば,原始時代においても,現在のアーチェリーや槍投げの原形ともいえる,弓矢や槍などの狩猟用具および武器を用いた競走が行われていた。しかし,いうまでもなく,これらはあくまで競技“的”なものであって,競技ではなかった。彼らの目的はあくまで種族の保存と発展にあり,武器などの使用は生きるか死ぬかの“格闘”に他ならなかったからである。弓矢・石・棒・槍などを用いる相手は,人間であれ動物であれ,本能的な自衛手段が根底にあり,生きのびるためのそれらの闘いを「競技」という。語で表すのには無理がある。そのほかに,部族の長を決めるときや,求婚のとき,または,占い・まじないといった類の呪(じゅ)術として,今日いうスポーツ“的”なものがなされていた。

 オリエント時代に入ると,古代エジプトの壁画には,レスリングを闘う人とその様子を報告して歩いている人の姿が描かれている。このころになると,かつては生活の手段であった狩猟も,上流階級の人々に限ってではあるが,しだいにスポーツとしての形をとるようになり,馬を使っての競馬やポロの原形ともいえる競技が生まれた。

 古代におけるスポーツといえば,ただちにオリュンピアの祭典(古代オリンピック競技大会)が連想される。古代ギリシアのオリュンピアで4年に1回開かれたこの祭典の第1回めは前776年と記録されている。しかし実際は,さらに古く,前9〜12世紀にまでさかのぼるという見方もある。もともとギリシアでは戦争の合間に,いくつかの軍技の競争が行われていた。戦争そのものが神々の思し召しによるものであったから,それらの軍技競争は例外なくすべて神々に捧げられた祭儀行事であった。詩人ホメロス Homeros は,叙事詩『イリアス』第23巻「パトクロスの葬送と競技」のなかで,アキレスの指揮によるさまざまな競技(戦車競争・レスリング・槍投げなど)の様子を生き生きとうたいあげている。古代ギリシアにおいては,市民権をもつ市民はすべて戦闘員であったから,軍技は祭儀行事に取り入れやすかったこともあった。主神ゼウスに捧げられたオリュンピアの祭典は,これらの軍技がしだいに形を整えていったことをも意味している。 そのほかの祭儀行事として,ピュチア祭・イストミア祭・ネメア祭がある。古代ギリシアの四大祭典競技会としてあげられるもので,それぞれデルフォイ・イストモス・ネメアで2〜4年に1回開催され,ギリシア全土から選手が集まってきた。もっとも,それらは今日いうスポーツの感覚でとらえられるものではなく,まさに“死闘(aGon)”であった。神々に捧げられるそのすさまじい闘いで,死者あるいは重傷者の出ることも珍しくなかった。競技参加者はすべて男子に限られ,素裸になってレスリング・ボクシングなどの競技を行った。それぞれの競技で,優勝者にはオリーブ(オリュンピア)・ローレル=月桂樹(ピュチア)・野性のセロリ(イストミアとネメア)で編んだ冠が与えられ,それが唯一の賞品であった。

 古代ギリシアでの特徴でさらに述べると,素裸で行われた競技者の美しい肉体への崇拝の念が,人間の肉体美への賛歌となって,彫刻・絵画・文学などへ強い影響を与えたことである。また哲学者ソクラテスや歴史家ヘロトドスもオリュンピアの祭典を見物しに出かけたという記録も残っている。

 これらの祭儀行事が競技形式として後世まで残ったのは,のちに「スパルタ教育」といった語さえ生んだスパルタの徹底した軍事訓練と,アテナイの教養と体力づくりの政策に負うところが大きい。文化および体育の振興に力を入れたことによって,ギリシアは国力隆興に成功したのである。

 しかし,前4世紀マケドニアに征服されるころから,退廃の色が濃くなってきた。神聖な祭儀行事であるはずの競技に,買収や八百長(やおちょう)が発生し,各地の競技会に顔を出して賞金稼ぎをする“職業的な”選手も出てきた。後世にまで名を残したオリュンピアの祭典は約1,000年の歴史をもって紀元393年の大会で終了となった。

 ローマ時代に入ると,帝政はなやかなころの象徴としてローマのコロセウムがあげられる。ローマ人とギリシア人の相違点は,自分で競技を行う側から,見物して楽しむ側にまわったことにあり,囚人や奴隷を剣闘士として養成し,彼らが死闘を演じるのをみて楽しみ,あるいはライオンなどの猛獣にキリスト教徒を殺傷させるという目をおおうばかりの流血の惨劇を演出して,そのショーに熱狂した。また賭け戦車競争はローマ市民の大きな娯楽であった。当時は15万人を超える失業者があり,町を浮浪者がさまよっていたが,政府はすべての競技会の主催者となって,それらの現実から人々と自分の目をそらしていた。[中世]「封建制度」「騎士道精神」といった語が連想される中世は,スポーツにとって決して暗黒の時代ではなかった。王・貴族・騎士から一般市民に至るまでスポーツを楽しむ風潮が出てきた時代であったからである。ヨーロッパ各地で農民一揆や職人のストライキなどがおこり,はげしい社会制度の変動があったこの時代は,一方で民衆の人権が少しずつ認められてきた時代でもあり,

【スポーツの語源】で触れたように,職場をはなれて競技を楽しむ傾向が出てきた。つまり古代ギリシアでの軍技競技的死闘ではなく,人間の自発的欲望から生まれ,勝敗や闘争本能を満足させるという,新しい型に変化してきたのである。

 中世の代表的スポーツとして知られているものに,ジュースト・トーナメントといわれる騎士たちの馬上槍試合がある。馬にのり槍をもった騎士が1対1で向かいあって立ち,合図とともに全速力で馬を走らせ,すれちがいざまに相手を突いて落馬させるのがジューストであり,それが集団化したのがトーナメントである。一方,騎士たちの勇壮な馬上試合とは別に,王・貴族から一般市民のあいだに,素朴なボールゲームが広まっていった。一般にキリスト教では遊びを罪悪視したように思われているが,それは度を越した場合に限ってであって,教会の壁を利用して行う打球ゲームには,僧侶たちも夢中になった。また,テニスの原形といわれるポームは大流行し,とくにフランスでの流行は驚異的なもので,ルイ10世の死因はポームに熱中したあげくの過労である,という話も伝えられている。また,スールという独特のフットボールはフランスからイギリスにわたってさらに改良され,サッカーやラクビーへと変化していった。そのほか,走る・跳ぶ・投げる・格闘するといった競技は市民たちによってさらに工夫がこらされていった。弓射試合や槍試合・剣試合などの市民競技会が盛んになり,やがてヴェネツィアの競漕などに見られるように,各都市独特の名物競技会が行われるようになった。

[近世]16世紀半ば,イタリア人医師 H. メルクリアリスが「『体操術』を発表。これは身体運動を医学的に研究した世界で初めての画期的な書物である。この後,ボールゲームやフェンシング馬術などに関する実技指導の本が相ついで出版されるようになった。

[近代]“近代スポーツはイギリスを母国とする”と一般にいわれるが,イギリスにおける18世紀は,近代スポーツの成立にとって重要な時期であった。実際,相撲・柔道(日本)・スキー(北欧)・アメリカンフットボール(アメリカ)など特別な例外を除いて,ほとんどのスポーツがイギリスでうぶ声をあげている。ざっと例を挙ても,野球の原形といわれるクリケットサッカー・ラクビー・フットボール・ゴルフなどの球技のほかに,当時は徒歩競走のペデストリアン(もともとは従者という意味で,初めは貴族たちが自分の従者に賞金を賭けて競争させた)が盛んに行われていたし,ボート競技もあった。しかし,これらをよくみると,多分に保守的・閉鎖的であり,ボートやクリケットのクラブに加入できるのは,せいぜい上流から新興中産階級までであった。これらが真の隆盛をみせるのは19世紀後半からで,学生たちがパブリックスクール内で競技できるようになってからである。それ以前は,学外か,学内で行うにしても極秘で実施しなければならなかった。しかし学生たちの熱意と努力によって,スポーツに対する学校側の姿勢にしだいに変化がおこり,やがてスポーツを奨励する学校も出てきた。これら学生層を中心としてアマチュアスポーツの伝統が着々と築かれていったのである。

 1894年,フランス人のピエール=ド=クーベルタンによってI.O.C.(国際オリンピック委員会)が結成され,1896年に第1回近代オリンピックがアテネで開催されたが,彼をオリンピック復興に駆りたてたのは,イギリス留学の際のパブリックスクールにおけるスポーツ経験であったといわれる。

【スポーツの歴史・日本】国技である相撲(すもう)が日本の歴史に現れたのは古く,野見宿彌(のみのすくね)が当麻蹶速(たいまのけはや)と相撲し,蹶速を蹴りたおして腰の骨を砕いたという伝説は有名である。『日本書紀』にも,642年(皇極1),百済の使者を供応するために,健児(こうでい)を集めて相撲をとらせたという記述がある。奈良〜平安時代にかけて,宮廷貴族の生活を彩ったスポーツはそのほかに,鷹狩競馬(くらべうま)・蹴鞠(けまり)・打毬(だきゅう)などがあり,ことに打毬はポロと似たもので,ペルシアから中国を経て伝来し,724年(神亀4)奈良の春日野で貴族たちが楽しんだ記録がある。

 鎌倉時代以降,武士の時代になると,戦闘技術として騎射の訓練をかさねた勇壮なスポーツが盛んになった。流鏑馬(やぶさめ)・犬追物(いぬおうもの)・笠懸(かさがけ)の騎射三物(きしゃみつもの)がその代表的なもので,相撲も格闘技として行われていた。貴族のあいだで盛んだった“日本のフットボール”というべき蹴鞠は,上級武士たちにもとり入れられていた。

 14〜17世紀にかけて,剣術・弓術・槍術などが盛んに行われ,多くの流派を生んだ。しかし,鉄砲の伝来によって戦闘技術に異変がおこるとしだいに衰え,江戸時代に入るとともに,精神面での強調を伴う「武士道」となって形づくられていった。

 明治時代に入り,文明開化とともに日本の近代スポーツも開花した。欧米諸国との接触によって,軍事的にも新しい訓練の必要性が迫られた。各藩は競って洋式操練をとり入れ,それが陸軍に引き継がれて「体操」と呼ばれ,陸軍戸山学校の指導者養成コース「体操科」および手引書『体操教範』によって,国内に普及していった。内容は,戦場運動に結びついた徒手体操・器械体操および陸上競技的なものであった。日本の近代スポーツは軍隊から始まったといえる。また,大学や専門学校の教師として来日したアメリカ人・イギリス人などが学生たちのあいだに野球・ボート競技・陸上競技などを広めていった。1875年(明治8)に来日したイギリス人ストレンジは“Outdoor Games”を英文で発刊し,陸上運動やボートレースを盛んに奨励した。運動会を広めたのも彼であり,その指導によって日本の戸外スポーツの基盤はつくられたのである。さらに,明治末期〜大正〜昭和初頭にかけて,ラグビー・ホッケー・登山・ボクシング・ゴルフ・スキー・バスケットボールハンドボールウェイトリフティングレスリングなど新しいスポーツが続々と輸入,紹介されていった。

 1911年(明治44),嘉納治五郎の提唱により大日本体育協会が設立され,日本近代スポーツの新たな一歩となった。彼は1909年東京高等師範学校長のとき,I.O.C会長クーベルタンに請われてI.O.C委員に就任したため,オリンピック参加のための代表団体として設立したものである。翌1912年の第5回オリンピック=ストックホルム大会に陸上選手2名(金栗四三・三島弥彦)が参加,これにより,日本の近代スポーツは急速にもりあがった。日本体育協会は現在にいたるまで,日本国民のスポーツ・レクリェーション活動振興のための代表的民間体育団体の一つである。オリンピックのほかにも,アジア競技大会ユニバーシアード国際大会への参加,国民体育大会の開催,東京オリンピック(1964)・札幌冬季オリンピック(1972)の準備,運営にあたってきた。その事業内容は,[1]体育運動の根本方針の審議確立,[2]アマチュア精神の確立,[3]加盟団体の強化および連絡,[4]国際競技への代表選手団の派遣など。現在,加盟競技団体37(1973年現在)を数えほかに仮加盟,そのほかに加盟外団体として大学野球・社会人野球・高校野球の全国機構がある。また,なぎなた・合気道などの古武道や各種レクリェーションスポーツ団体,さらには公営競技を含むプロフェショナルスポーツの団体がある。なお,日本体育協会はスポーツを楽しむ人たちの理想像としてのスポーツマンシップを次のように述べている。[1]スポーツを愛し楽しむために,自発的であること。[2]ルールに従い,フェアプレイに終始すること。[3]つねに相手を尊重し,自己の最善をつくすこと。[4]スポーツを行うことにより,物質的利益を求めないこと。[5]スポーツで得た名声を利用しないこと,など。

【現代のスポーツ】1896年に第1回近代オリンピック=アテネ大会が開かれて以来,スポーツの国際時代が到来した。アマチュアリズムを柱に,人種・宗教を超越してスポーツを人類の共有財産にしようという思想が広がり,スポーツを単に肉体修練のみではなく,精神高揚の面からも捉えてみようという風潮が広まってきた。オリンピックのほかにもさまざまな国際大会が企画・実施されるようになり,学生や女子のみを参加対象とした世界大会も次々と開かれるようになった。しかしそれに伴って,さまざまな問題点(アマチュアリズムに関連した問題その他)も指摘されるようになった。現在,スポーツはほとんどの種目が国際競技連盟(I.S.F.)を組織している。

[アマチュアスポーツ]競技種目で見ると,プロに比べて断然多い。語源はラテン語の amator(愛好者)にあり,19世紀初めにイギリスのスポーツ好きの上流階級の人たちがプロフェショナルスポーツと区別する意味で,Gentleman amateur ということばを使用したのが,スポーツにおける始まりである。アマチュアリズムとはスポーツを物理的な利害関係から切り離し,スポーツそのものを愛し楽しむ意識や態度をいい,それがアマチュアスポーツの根底を支える理念である。1866年,イギリスで陸上競技選手権大会が開かれた際,アマチュアの資格が決められ成文化されたのが世界最初で,〈生計のため,また賞金などを目的にスポーツを行うものはアアマチュアではない〉ということのほかに,〈すべての労働者はアマチュアではない〉といった規定もあった。その本音は労働者の除外であり,上流階級によるスポーツの独占にあったようである。1880年には労働者除外の項は削られたが,競技会に参加するには高額の参加料を納めなければならず,実際に参加できる労働者は少なかった。1925年,I.O.C.およびI.S.F.の合意のもとに,アマチュアリズムの三本の柱として次のように定められた。[1]プロはいかなる競技へも参加できない。[2]あるスポーツでプロになったものは,他のスポーツでもプロであって,アマチュアとして復帰できない。[3]競技会に参加するために失った給料の補償は許されない。([3]についてはその後修正されている)

 第二次世界大戦後,スポーツの高度化に伴って,アマチュアの世界にも高度な技術養成に力が注がれるようになり,新しいタイプのアマチュア選手が現れてきた。[1]社会主義国におけるような,国家が養成する選手(ステイトアマチュア),[2]アメリカにおけるような奨学金でスポーツに専念する選手(スカラシップアマチュア),[3]企業の宣伝など商業主義に利用され,その報酬でスポーツに専念する選手(コマーシャルアマチュア)である。このように国家主義・商業主義がスポーツ界に多大な影響を与えてくるに従って,伝統的・理想的なアマチュアリズムでは収まり切れないさまざまな矛盾が出てきている。アマチュアリズムが根本的に問い直される時期が国際的に到来しているといえよう。

[プロフェショナル(プロ)スポーツ]アマチュアスポーツに対し,金銭的な収益を目的としたスポーツのこと。大別して[1]スポーツの競技(演技)により生計を営むもの。[2]賞金などを目的に競技を行うもの。[3]スポーツの指導により生計を営むもの。[4]スポーツ企業,などがある。プロスポーツが本格的になったのは19世紀後半のアメリカからで,野球やボクシングの興業の成功によって,各地に野球場を初めとするスポーツ場が建設されていった。そしてフットボール・バスケットボールのプロ選手が生まれ,テニスのプロ選手たちも誕生した。日本では相撲が独特の伝統をもっているが,そのほかにボクシング(1921)・競馬(1923)・野球(1934)などのプロが誕生した。また,そのほか公営競技として許可されているものには,競輪(1948)・オートレース(1950)・競艇(1951)がある。最近は体力・健康づくりブームの波にのって,各種美容体操教室(エアロビクス・ジャズダンスなど),ヨガなど心身修練法の指導,スイミングプールでの指導員など,新しいプロたちが次々に出現している。

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