●スパルタクスの反乱 スパルタクスのはんらん
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前73〜後71 ローマ共和政期のイタリアにおいて,スパルタクスが指導した奴隷反乱。剣奴(グラディアトル)の反乱ともいう。スパルタクスはトラキア出身の剣奴で,中部イタリアのカプアにあった剣奴養成所に所属していたが,前73年,七十数名の仲間とともに脱走し反乱をおこした。剣奴とは円形闘技場で生死をかけた決闘を強制され,市民に娯楽を提供する奴隷のことであるが,その非人間的な悪用がローマ人に手痛い報いをもたらすことになった。当時は奴隷制の最盛期で,国家の基本となるべき中小農民が,前2世紀以降の対外戦争の長期化・拡大化のなかで没落する一方,海外からの大量の奴隷が大土地所有制(ラティフンディウム)のもとで強制労働を強いられていた。乱がおこると,トラキア人・ケルト人・ゲルマン人の奴隷や,多数の無産者がこれに加わり,反乱者の数は一時9万人にもふくれあがった。スパルタクスらは,ローマの二軍団を破り,南イタリアを荒しまわったのち,前72年,ケルト人の仲間クリクスス(Crixus)を失うが,優れた統率力と人格によって奴隷を指揮し,再度ローマ軍を破り北イタリアのポー川流域に達した。ここで軍を解散して,各自の生まれ故郷に帰って自由を取り戻すことを願ったが,彼らは帰国を望まなかったため方針を変え再び南進し,三たびローマ軍を破ってルカニア地方を荒しまわった。このとき,スパルタクスはシチリアに渡ろうとしたが,海賊との連携に失敗し,渡航は果たされずに終わった。前71年に富豪のクラッススが元老院から派遣され,ルカニアで反乱軍を撃破した。スパルタクスは敗死し,敗残兵は北に逃がれたが,スペインのセルトリウス一派を平定して帰国途中のポンペイウスによって滅ぼされた。生き残った者も捕えられたのち礫刑に処せられた。この反乱は,ローマの支配階級を戦慄させた。〔参考文献〕土井正興『スパルタクスの蜂起』1973,青木書店