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●スパルタ

ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD 

 アテネと並ぶ古代ギリシアの代表的な都市国家。ラケダイモンとも呼ばれる。ホメロスではメネラオス王の領土として両名称は区別なく使用され,歴史時代にはラケダイモンが正式名称となる。スパルタは詩的愛国的含意をもつ雅号で,おもに市民に関係して都市や国家を述べるときに用いられ,全住民に関係して領土や国家を述べるときはラケダイモンが使われる傾向にある。本来の領土はラコニアと呼ばれる。ラコニアに多い植物スパルトス(スペイン=エニシダ)に由来する。

【総説】都市はエウロタス川の中流左岸の低い丘にあり,隣接した四集落とやや南に離れた一集落から成る。アクロポリスは南北に長い楕円形の市域のやや北側にあり,城壁は古典期には存在せず,前4世紀末に一部,前2世紀には全部の城壁ができる。領土は本来,南北に長く走るタイゲトス山とパルノン山に挾まれたエウロタス河谷のラコニア地方であったが,のちに西側のメッセニア地方と東側の海岸地方を征服してほぼペロポンネソス半島の南3分の1を占めるにいたる。ポリスとしては例外的広さであり,地味もギリシアで最も肥沃で,終始食糧自給のできた稀な地域であった。住民には市民たるスパルタ人と非市民の周辺民ペリオイコイ,および農奴ヘイロタイの三身分があった。ペリオイコイは軍事義務を負う以外には自由な農民や商工業者。その起源が征服民の一部か被征服民なのか不明。ヘイロタイは征服された先住民。

リュクルゴスの制度】前12世紀の侵入以来,ドーリア人は分散的に村落定住していたが,集住によってポリスを形成し,ラコニア地方の統一を果たし,さらに第一次メッセニア戦争でメッセニア人を農奴化した。しかし,対アルゴスの対戦を機に第二次メッセニア戦争がおこったが,政治的諸改革によってこれを乗り切り,さらに平和を確実にするためテゲア戦争を開始した。その苦戦後,親アカイア政策に転換し,ペロポンネソス同盟を成立させてスパルタの地位を強固なものにした。これらの事件の多くは決定的な日付けが得られていないが,ともあれ,古典期の初頭にはスパルタは,リュクルゴスの制度と呼ばれる,古い伝統と諸改革の成果を合わせた政治的社会的体制を整えていた。すなわち,市民は民会をもち,28人の長老会と5人の長官とを選出し,二人制の王の指導下に政治を運営した。農奴が耕作し,収穫物の半分を提供する土地は持分地として市民に分配され,鉄銭を除く金銀銅貨の使用は禁止されて貧富の差は顕著ではなかった。市民は7歳から30歳まで兵舎生活を続けて教育と訓練を受け,60歳まで軍役と会食制度のもとで生活した。王制を残したとはいえ,これを抑える長官職の権力が強く,市民団内部では徹底した民主制がとられていた。しかし,非市民の周辺民や農奴に比較して著しく市民数が少数であるため,その政体は貴族政治・寡頭政治と呼ばれた。この制度は前4世紀初頭までは厳格に維持された。

【歴史】この制度で強力化したスパルタは前6世紀後半以来ギリシア世界の指導的ポリスとなり,ペルシア戦争では陸軍のギリシア軍を指揮して勝利に導いた。その後,失政と大地震に伴う第三次メッセニア戦争で地位が下降したが,前5世紀末,ペロポンネソス戦争に勝利して再び全ギリシアの覇権を握った。しかし,リュクルゴスの制度が破綻しはじめ,市民数の減少と貧富の差の拡大で国力を弱め,ついにテバイに敗れてメッセニアの独立を許した。ヘレニズム期のアギス王・クレオメネス王の改革も失敗に帰し,アカイカ同盟に合併されて(前195),以後,完全に独立を失った。

【文化】前7世紀までのスパルタでは商工業が発達し,華やかな貴族文化が栄えていた。とくに前600年ころ,ラコニア陶器の壺絵は最高潮に達した。テュルタイオスやアルクマンなどの詩人が輩出し,七賢人の一人キュロンが活躍したが,古典期には商工業は没落し文化も凋落した。

〔参考文献〕プルータルコス,河野輿一訳「リュクルゴス」「アゲシラオス」「アーギス及びクレオメネス」『プルターク英雄伝』1,8,10 岩波文庫,岩波書店