●ステンドグラス
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金属成分を混合・溶融して発色させた色ガラス片を組みあわせた平面造型。下図にあわせてガラスを切断し,鉛片で接合してゆく。ガラスに顔料で絵を描いたガラス絵とは異なる。元来は近東に発したガラス製造技法がイタリアに伝えられ,諸種の改良をうけて,10世紀ごろにはヴェネツィアがその中心地となった。アルプス以北にはすでに中世初期にその技法が伝えられ,色ガラスに文様を焼きつけて鉛で枠どりした工芸品がカロリング朝遺品にみられる。また彩色ガラス窓も9〜10世紀ごろには存在し,ロマネスク建築にもすでに部分的にはステンドグラスが用いられた様子を,文献は伝えている。たとえば,フランスはランスのサン=レミ大聖堂では,各窓一人あての聖者像が描かれていたという。だがステンドグラスが本格的な最盛期を迎えるのは,ゴシック建築が登場してからである。その理由は大別して二つある。一つは建築構造上の理由による。ゴシック聖堂では,建物が高層化して,おもに柱がその高い建物を支える構造をとった。必然的に壁の部分が減少し,大きな開口部をとることが可能となった。その窓を覆うものとして,大がかりなステンドグラスが登場する。屋内でのより多くの採光を可能とするこの手法は,アルプス以北の気候風土条件に合致する合理性があった。第二は神学上の理由による。もともと伽藍の高層化自体が,地上の“神の家”としての教会堂をより天上に近からしめようとする信仰上の願望にもとづいているのであるが,さらに堂内をも天界の再現であらしめようとした場合,“神は光なり”とするキリスト教の根本教義は,窓からさしこむ光においてもまた“天上からの光”として具現される必要があった。このとき,巨大な窓に光をうけて,壮厳・神秘に輝くキリスト・マリア・使徒などの像は,内部から仰ぎみる信者たちに,まさに天上からの降臨として映じたのであった。
ゴシック=ステンドグラス初期のものとしては,1140年ごろ創建の北フランスのサン=ドニ修道院内陣に残る『キリストの生涯』ほかがあげられる。また1150〜1155年の,シャルトル大聖堂西正面を飾る三大窓は,この時期の代表的な傑作とされている。この期の色調は,色ガラス製造の技術水準もあって,それほど色数もなく,色あいも鮮烈澄明であるが,それだけに赤と緑・橙黄と青といった対比色を組みあわせた作風は,簡明にして勇渾な印象をかもしだす。13世紀になると,大聖堂は隆盛期を迎える。それはまた,あの「光の芸術」の黄金時代でもあった。ステンドグラスは“光の壁”となって,パリのノートル=ダム大聖堂・ランス大聖堂など次々と各地に建てられる伽藍の窓を飾ったが,なかでも圧巻は,シャルトル大聖堂の146の窓を飾るそれである。1210年から1250年ごろにかけて集中的に作製されたそれは,全体が統一的構想のもとにあって,適切に主題の配分が行われ,図像も高窓・バラ窓・細長窓などの形態に応じて巨大単独像や,小間割して連続的に物語を描き分けるなど,それらのすべてが集まって,さながら“目でみる聖書・使徒聖者伝”の観をなしている。
13世紀末ごろから伽藍内部は華麗繊細に装飾化してゆくが,それにつれステンドグラスにも,表面に単色絵具で肉付けするグリザイユ画法が登場(シトー派系修道院),より微妙優雅な表現が可能となって一歩絵画に近づくが,反面ステンドグラスのもつ壮大で激しい表現性が失われることとなる。その傾向のゆきつくところ,15世紀後半にはステンドグラスはしだいにガラスに絵具で描かれた絵画に変わり,他方,同時期に並行して進むルネサンスの広がりとともに,壁画・タブロー(独立絵画)に席をゆずることとなる。ゴシック式伽藍建設の終焉とともに,大ステンドグラスの時代は終わるが,その伝統はフランスの諸地方などに伝えられ,19世紀半ばの中世のロマン主義的再評価とともに,イギリスのW.モリスらにより新工芸としてステンドグラスの復活が企てられ,建築その他の装飾として今日に至っている。
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