●スチュアート朝 ステュアートちょう
ヨーロッパ 英国 AD
1371年以降スコットランドに君臨し,1603年以降イングランドにも君臨した王朝。執事とか宮宰を意味するスコットランド語 Stewart が元来の語の綴りであるが,フランスとの関係が密になると Stuart とか Steuart と綴られるようになった。【スチュアート家の祖先】スチュアート家の祖ウォルター=フィツアランはスコットランド王デーヴィド1世により宮宰に任じられ,以後その職は世襲され,それが家名になった。ウォルターの父アラン=フィツフラールド Alan Fitzflaald(ウォルターはその三男)はブルターニュ出身で,英王ヘンリ1世の寵を得,ノーフォークおよびシュロプシャーに領地を与えられている。4代目宮宰アレクサンダー Alexander(1214〜1283)は,1263年ノルウェーのハーコン王との戦いを指揮。その子ジェームズ James(1243ころ〜1309)は英国王エドワード1世がスコットランドの宗主権を確立したとき,それに反抗した一人である。その子6代目宮宰ウォルター(1292〜1326)は,1314年英国王エドワード2世の軍をバノックバーンの戦いにおいて破り,国王ロバート1世を援け,翌年国王の娘マージョリと結婚した。
【スコットランドにおけるステュアート朝】彼らのあいだに生まれたロバート(1316〜1390)は,マージョリの弟である国王デーヴィド2世が,子なくして没したので王位を継承しロバート2世(在位1371〜1390)となった。これがスコットランドにおけるステュアート朝の始まりである。その後ロバート3世(在位1390〜1406),ジェームズ1世(在位1406〜1437),ジェームズ2世(在位1437〜1460),ジェームズ3世(在位1460〜1488),ジェームズ4世(在位1488〜1513),ジェームズ5世(在位1513〜1542),メアリMarY(在位1542〜1567),ジェームズ6世(在位1567〜1625)と続く。
【イングランド王位継承】1603年英女王エリザベス1世の死によってテューダー家の家系が絶えたとき,スコットランド国王ジェームズ6世が,その祖父ジェームズ5世の母が英王ヘンリ7世の娘であった関係から,ジェームズ1世としてイングランドに君臨することになった。これがイングランドにおけるステュアート朝の始まりであり,スコットランドとは同君連合の関係をもった。ジェームズはイングランドではその専制政治のために議会と衝突,その子チャールズ1世 Charles I(在位1625〜1649)が王になるとその対立はいっそう激しくなり,ついにピューリタン革命の勃発となった。1649年1月国王は処刑され共和制の時代を迎えた。1660年王政は復活し,チャールズ1世の子がチャールズ2世として君臨した。1685年彼の弟がイングランドではジェームズ2世,スコットランドではジェームズ7世として王位を継いだが,英国民の信を得られず名誉革命となり,1689年ジェームズの長女とその夫がメアリ2世とウィリアム3世として王位に迎えられた。名誉革命はスコットランドでも受け入れられ,議会は独自にジェームズ7世の改廃を決定しウィリアムとメアリの即位を承認した。その後両者のあいだに子がなかったことから,メアリの妹でデンマークの王子ジョージと結婚していたアン Anne(在位1702〜1714)が王位を継承したが,彼女の子はいずれも早く死んだので女王の死とともにステュアート朝は断絶した。その後は彼女の即位前1701年に定められた王位継承法によってハノーヴァ家のジョージ1世が王位についた。
なお,名誉革命で追放されたジェームズ2世とその子孫を正統として擁立しようとするジャコバイト(Jacobites)の運動は,1695年のウィリアム3世暗殺未遂事件,1715年および1745年の反乱など根強く続けられた。
〔参考文献〕J.H.Round,“Studies in PeeraGe and FamilY HistorY”1907