●スタール夫人 スタールふじん
ヨーロッパ スイス連邦 AD1766
1766〜1817 ネッケルの娘。母はスイス,ヴォー州のプロテスタント牧師の家系の出身。パリで成長し,両親の交際関係から若くして啓蒙思想家たちのあいだで論議し,才気煥発ぶりを発揮。モンテスキューやルソーの著作にもふれた。王妃マリ=アントワネットの後楯もあり,スウェーデン大使スタール=ホルシュタイン男爵と結婚(1786;1798年離婚)。フランス革命を好感をもって迎えるが,父の財務長官辞任後まもなくそのあとを追いジュネーブ近郊のコペーに退く。このときの作品『個人と国民の幸福に及ぼす情熱の影響』(1796)は情念の解放を説き,文学史上のロマンティシズムを切りひらいた。テルミドール反動後,パリに戻り,バンジャマン=コンスタンとサロンを開き,イデオローグや立憲君主派の人士を招く。知性と情熱の女性でナポレオンにも影響を及ぼそうとするが,“烏(からす)”と呼ばれ終生対立。文学の無限可能性や,文学の開花のための自由の不可欠なことを説いた『社会制度とその関係でみた文学』(1800)はフランス批評史上,画期的な作品。イデオローグとともにナポレオンから睨まれ,パリ退去命令を受ける。ドイツ旅行ののちコペーで著した『ドイツ論』(1807・1813年ロンドンで刊行)はドイツ民族性とロマンティック文学の特質をフランスとの対比で論じたもの。そのコスモポリタンな態度がまたもナポレオンの憤激を買った。再婚し,ヨーロッパを旅行したのち,1814年ルイ18世の復帰とともにパリに帰る。1816年完成の『逃亡の11年』や,1817年の死後初版の『フランス革命の諸事件に関する考察』により,文章でナポレオンに復讐したといわれる。