●スーダン
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スーダンとは,アラビア語のスーダ(黒)に由来し,“黒人の国”を意味し,北アフリカに進出したイスラーム教徒が,サハラ砂漠の南辺のアフリカ人が居住した広大な地域を総称して,スーダンと呼んだ。スーダンと地中海沿岸地域とは,先史時代から通商路が開かれており,オリエント文化の影響はもちろん,とくにアラブ人やイスラーム教の影響は今日でもなお強い。スーダンのイスラーム化は,まず西サハラに端を発した。その地域にベルベル人が建てたムラービト朝(1056〜1147)が,1076/1077年にガーナ王国を滅ぼしたときからであった。その後この地域には14世紀に最も栄えたマリ(Mali)帝国,黒人アフリカ最大の版図を誇ったソンガイ帝国などが続いたが,それらの国では支配階級はすべてイスラーム教徒で,法律をはじめ国家の諸制度もイスラームを範とし,トンブクトゥのマドラサ(学院)のごときは,西スーダンのイスラーム学術の中心となった。
中央および東スーダンのイスラーム化は,西スーダンより遅れてはいたが,イスラーム受け入れの事情は西とまったく同様で,ウラマー(学識者)・商人・移民によるものであった。たとえば,チャド湖の東のカネム帝国は,11世紀末ごろエジプトからの移住者によってイスラーム化されたが,以後は18世紀まで都市以外には普及しなかった。東スーダンのダルフール地方は,14世紀にチュニジアからの移住者によってイスラーム化されたが,その地方から西のワダイ・バギルミ地方で原住民の改宗が進んだのは,16世紀末からであった。ニジェール川下流地方のハウサ地方のイスラーム化も同じころに始まったが,ギニア海岸に置かれたヨーロッパ諸国の通商基地からの影響が内陸部に波及するようになると,異教徒への抗戦を呼号するジハード国家が建設された。西スーダンでは,ウスマン=ダン=フォディオのフラニ王国,ハジ=ウマルのトゥクロール帝国のほか,サモリ=トゥーレや,ラービフらの政権がそれである。一方,東スーダンでもエジプトから南下するイギリス勢力に対し,強力な抵抗力を発揮したムハンマド=アスマドによるマフディー派の反乱(1881〜1999)が注目された。
次に第二次世界大戦後のスーダン地域の独立国名・独立年月・旧名称をあげる。
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