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●鈴木重胤 すずきしげたね

アジア 日本 AD1812 江戸時代

 1812〜1863(文化9〜文久3) 幕末の国学者。志士。淡路国津名郡仁井村の庄屋鈴木重威の子。幼名,雄三郎。通称,勝左衛門。初め橿廼舎・嚴橿本・府生・柱州と号す。1825年(文政8)ころ,大坂鴻池家に商業見習いに住みこんだ。父の遺訓で国学を志望し大国隆正に入門。平田篤胤を慕って秋田をたずねたが,篤胤が死没したため没後の門人となる。その後江戸に住む。各地を旅して門下を拡大し,出羽国大山の旧家大滝光憲,越後新津の旧家桂誉重の支持を受け,大滝よりは資を得て江戸生活を支えられ,嘉永・安政にかけて『祝詞講義』『日本書紀伝』の著述につとめたが,平田師家と対立して,1858年(安政5)には破門された。その上,平田銕胤の尊攘激派路線とも対立し,ついに平田門人の手で1863年(文久3),本所小梅の自宅で暗殺された。この事の理由は廃帝故事調査をし幕府の奸吏と通じたことに求められている。しかし基本的には学説上の対立と現実路線の選択上の対立に求められる。