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●スコラ哲学 スコラてつがく

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 古代末期の「教父哲学」に対して,中世のキリスト教哲学を「スコラ哲学」と呼ぶ(哲学史上の「中世」は,9世紀のカロリング=ルネセンスから始まる)。「スコラ」はラテン語で「学校」の意。修道院の附属学校や司教区聖堂の附属学校,さらには大学(とくにパリ大学・オックスフォード大学)で行われた,広くキリスト教の教義の哲学的体系化をめざしたものを指すとする。ルネサンスから19世紀まで,「スコラ哲学」という名には,瑣末なことに不毛の議論を積み重ねるものという,非難と軽蔑がつきまとうのがつねであった。ルネサンスの人文主義者の激しい攻撃のことばがそのまま受け取られ,無批判に繰り返されてきたにすぎない。

【準備期】カール大帝のもとで,修道院や,教会・聖堂に附属学校が設けられ,アルクィンの努力によって,古典ラテン語にもとづく教養が復興された。エリゲナが,『ディオニュシオス偽書』のラテン語訳と註解をつくり,新プラトン主義にもとづく体系的解釈を試みた。

【初期】11世紀に「哲学は神学の婢」ということばが用いられ始めるが,その場合の「哲学」とは七つの「自由学科」,とくに「文法」「修辞学」「弁証論」のこと。スコラ哲学の祖といわれるアンセルムスは,“理解を求める信仰”の立場で,理性と信仰を結びつけた。その著『プロスロギオン』で展開された,「神の存在論(本体論)的証明」は有名。不幸な恋の物語で知られるペトルス=アベラールは「普遍論争」において重要な役割を果たした。

【盛期】13世紀初めに設立されたパリ大学で,「自由学科」を講じる学部は,神学部に従属させられることになった。12世紀半ばから13世紀半ばにかけて,これまで西方に知られていなかったアリストテレスの著作が,アラビア語訳やギリシア語原典からラテン語に訳される。アリストテレスの名のもとに伝えられた新しい哲学を素材として,キリスト教神学を大成したのが,トマス=アクィナスである。『神学大全』の著者。トマスに対して,伝統的(アウグスティヌス的)立場から批判を加えたのが,ボナヴェントゥラである。

【後期】信仰と理性の関係について,疑念がもたれるようになる。ドゥンス=スコトゥスオッカムのウィリアムの名が知られている。