●周防 すおう
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大化の改新後,山陽道に設けられた国で,現在の山口県の東南部。古くは周芳と書き,7世紀末ごろから周防(すはう)に統一された。初め大島・熊毛・都濃・佐波・吉敷の五郡を管下に置いたが,721年(養老5)に熊毛郡から玖珂郡が分かれて六郡になった。国府は沙麼県(防府市)に置かれた。鎌倉時代には東大寺再建のための知行料国とされ,1186年(文治2)に俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が国司上人として下向した。その後しばらく東大寺から離れたが,1231年(寛喜3)には再び東大寺領となった。平安末期から在庁官人として成長してきた大内氏が実権を握り,南北朝期から守護に任命されて居所を山口に定めた。1551年(天文20)義隆が陶晴賢(すえはるたか)に滅ぼされるまで,山口は“西の京”として栄えた。1557年(弘治3)から毛利氏の領国となり,近世には本藩の萩毛利氏のほかに,一族の徳山毛利氏・岩国吉川氏の支藩が置かれた。1871年(明治4)の廃藩置県で,長門と合わせて山口県が成立した。