●崇伝 すうでん
アジア 日本 AD1569 室町時代
1569〜1633(永禄12〜寛永9) 江戸初期の臨済宗の僧。以心崇伝といい,一般に金地院崇伝の名で知られる。生前に円照本光国師号を受ける。1573年(天正1)室町幕府滅亡に際し父一色秀勝と死別,南禅寺玄圃霊三のもとで出家。26歳で住職資格を得て諸寺を歴住,1605年(慶長10)南禅寺住持となり金地院に住する。1608年に西笑承兌の後任として幕府の外交文書の書記役となる。その後しだいに頭角を現し,幕政に関与するようになる。伴天連追放令・寺院法度・公家諸法度の制定にも関係し,大坂城攻撃の端緒となった方広寺大仏の鐘銘問題も崇伝の考えから出たものという。紫衣事件でも沢庵らの厳科を主張するなど,一般には不評を買い“大欲山気根院僭上寺悪国師”とあだ名され,沢庵からも“天魔外道”と称された。しかし初期幕政に辣腕をふるい,黒衣の宰相の名にふさわしいものがあった。著書に『異国日記』『本光国師日記』などがある。