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●崇禎帝 すうていてい

アジア 中華人民共和国 AD1610 明

 1610〜1644 中国,明の第17代皇帝(在位1627〜44)。名は由検,諡は荘烈愍皇帝,廟号は毅宗。天啓帝の弟にあたる。即位後は魏忠賢一派の追放や徐光啓ら有能な人材の起用により明朝の危機的状況の打開をはかったが,官僚・軍部の腐敗や東林・反東林の党争の根は深く,さらには大飢饉の続発や軍事支出の膨張などの要因も重なって,国政の刷新は容易に進展しなかった。その一方,李自成張献忠らの反乱と満州族の侵攻に代表される内憂外患は,急速に手の施しようのないものとなっていった。1644年(崇禎17),明軍の精鋭が対満州作戦に動員されている虚をついて李自成率いる反乱軍が北京に突入,崇禎帝は皇太子を脱出させ,皇女を斬ったのちに宮城の北にある万歳山で自害した。このときに帝に従ったのは,わずかに宦官1人であったと伝えられる。