●新模範軍 しんもはんぐん New Model ArmY
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イギリス清教徒革命において,1645年2月のニュー=モデル条令と同年4月の辞退条令によって再編された議会軍のこと。【議会軍再編に至るまで】1642年7月,議会は自らの軍の創設を決議し,その総司令官にエセックス伯(1591〜1646)を任命した。議会軍は各州を単位としてそこにおける民兵隊を基礎に構想された。内戦の展開につれて議会軍の弱点がみえてきた。自州以外の地域に出て戦うことを欲しないローカリズムである。軍資金の調達において議会が各州委員会の協力に大幅に頼ったこともそれに拍車をかけた。このような弱点を克服し戦闘組織の強化をはかるために,州連合および州連合軍が組織されていった。1642年12月,中部連合と東部連合が,やや遅れて西部連合が組織された。このなか東部連合はその後,議会軍の中核として活躍することになる。一方,封建的家臣団を中核とする国王軍や,地方の自衛組織としての民兵隊と,まったく異なる革命軍をつくる動きもあり,クロムウェル(1599〜1658)は東部連合軍のなかにおいて,ピューリタニズムという精神的支柱と厳正な規律と優秀な装備をもつ騎兵隊を育成した。この騎兵隊はのちに鉄騎隊 Jronsides と呼ばれ国王軍に恐れられた。
1643年9月議会はスコットランドとのあいだに「厳粛な同盟と契約」といわれる同盟を結んだ。それによって翌年1月にはレスリーを総司令官とするスコットランドの援軍が国境を越えて進撃してきた。7月のヨーク西方マーストン=ムーアの戦いでは,フェアファックス(1621〜71)のヨークシャー軍,マンチェスター伯(1602〜71),クロムウェルの東部連合軍およびスコットランド軍からなる議会軍は,ニューカッスル伯(1592〜1676)の軍およびルパート王子(1619〜82)の軍からなる国王軍に大勝し,漸く北部をおさえた。しかし,議会軍は中部や西部ではなお苦戦を強いられていた。エセックスの軍は9月,コーンウォールの戦いで国王軍に降伏した。議会軍の側にはなお各司令官たちの自分の出身地域のみへの固執が強く残っており,指令が徹底しなかった。司令官たちの戦意が疑われた。戦闘目的に関する問題が単なる軍事的なものを越えた政治的な対立として表面化しはじめた。いわゆる長老派と独立派の対立である。
【新模範軍の成立】1644年12月,クロムウェルとウォラーは議会において議会軍の改革・再編と無能司令官の追放を提案した。同じころ和平派は国王とアクスブリッジにおいて和平交渉をもっていたが,それが失敗したことがあって和平派も譲歩し,議会はニュー=モデル条令と辞退条令を成立させ新模範軍の創設にとりかかった。
新模範軍はエセックス,ウォラー,マンチェスターのそれぞれ指揮する軍を合体し,フェアファックス総司令官のもとに命令系統を統一し,各600人からなる騎兵連隊11,各1,200人からなる歩兵連隊12および1,000人の竜騎兵の計22,000人の兵力をもって構成するとされたが,その主力はクロムウェルの騎兵隊であった。軍を支える費用は全国に割り当てられる税によって賄われた。また,辞退条令は両院議員が文官,武官の職につくことを禁じたものであるが,これによって士官たちは身分の高下によってではなく,純粋に軍事的能力によって選抜されることになるとともに,いわゆる独立派の軍における主導権が確立することになった。
ところで国王軍の脅威が高まるなかで議会はクロムウェルを例外的に新模範軍内にとどめ副司令官に任命した。新模範軍は1645年6月,ネーズビーの戦いで決定的勝利を収め第1次内戦の終結へと導いた。
〔参考文献〕今井宏『クロムウェル』1972,清水書院