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●人民憲章 じんみんけんしょう

ヨーロッパ 英国 AD1837 ハノーヴァー・ウィンザー朝

 1837年,チャーティストがつくった請願書・運動綱領。1832年,イギリス選挙法改正に裏切られた労働者は,1837年から彼ら自身の選挙権獲得運動を展開した。参加者にはいくつかの系列があるが,オーウェニストでロンドン指物師熟練工のロベットが構想し,ほかの急進グループの承認を得て発表された6綱領がそれである。その原案は1776年のカートライト少佐の要求項目である。[1]成年男子普通選挙権,[2]無記名秘密投票,[3]議員の財産資格廃止,[4]議員への歳費支給,[5]平等選挙区,[6]議会の毎年召集。つまり労働者の選挙権,被選挙権,労働者議員の生活保証などの民主的要求であった。チャーティストはこの憲章の法律化を求めて請願活動を行った(実際には急進派による暴力的側面も含んでいる)。第1回1837年120万人署名,第2回1842年325万人署名,第3回1848年570万人署名。社会革命の到来を思わせる状況もあったが,結局戒厳令下で請願は受理されただけに終わった。チャーティストはこの運動を“ナイフとフォークの問題”つまり革命的生活闘争・階級闘争と考えていたが,リーダーのなかには政治的闘争と考える傾向が強く,内部対立が絶えなかった。体制側ではこの要求が“財産の安固を危くする”との受けとめ方が強く,激しい弾圧をした。チャーティスト運動は分裂と弾圧により挫折し,40年代に入って好況到来のなかで衰えた。