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●人民公社 じんみんこうしゃ

アジア 中華人民共和国 AD 

 ピープルズコンミューンの中国語訳。中華人民共和国の農村の政治・経済上の単位。1953年以後,初級生産合作社高級生産合作社と急速に進んだ農業協同化(土地および生産手段の集団所有化と労働の集団化)は,1958年ついに行政・経済を一つにまとめた人民公社を生み出した。それ以来,人民公社は中国農村において行政上・生産上の基本的な単位となってきたのであるが,その様態には時期により幾多の変遷があった。

 まず,人民公社設立の動きは,いくつかの県において,それまでに形成されていた高級生産合作社が合併し,すべての土地や生産手段を公社の所有に移すことで始まった。1958年8月,北戴河決議では“人民公社”という名が採用された。同年12月の武昌決議では公社の欠陥や混乱が指摘され,1959年8月,盧山決議で三級所有制が規定された。ここにいう三級所有制とは次のことを内容としている。公社は森林・牧場・ダム・貯水池・トラクターステーション・小型工場を所有し,そこからの利益と生産隊(のちの生産大隊)の公共積立金の50%を抽出した資金で,いっそう進んだ機械化生産手段の購入と生産隊間の調整を行うことができる。生産隊はもとの高級生産合作社にあたるもので,土地・役畜・農具・副業用工具を所有し,基本的な計算単位であった。つまり得られた生産物のうち,納税と公社への上納以外は統一的に分配できたのである。生産小隊(のちの生産隊)はもとの高級生産合作社生産隊にあたるもので,人民公社のなかでは上級の組織である生産隊から仕事,生産量,コストについて責任をもって請け負い,請け負い分は生産隊に上納するが超過達成分は生産小隊の所有となる。

 この三級所有制は1959〜61年の自然災害のなかで修正され,1962年ごろから20〜50戸の農家から成る自然村の規模にあたる生産隊(もとの生産小隊,華北では自然村の規模はもう少し大きいので一つの自然村には数個の生産隊があることになる)が計算単位となり,土地・役畜・農具を所有して生産に責任をもつことになった。これに応じて生産大隊(もとの生産隊)は生産隊をこえるレベルの事業を行って生産隊間の調整をし,公社は生産大隊のレベルを越える事業,たとえば工場・鉱山・林業・牧畜・水産・交通運輸・トラクターステーション・発電所・大型水利施設の運営などを行うことになった。文化大革命とそれにつづく混乱期を経て,1978年12月の中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(中共11期3中全会)以後,人民公社の改革が進行する。第1に,人民公社の行政と経済を分離し,行政面を郷人民政府に移し,経済単位としての人民公社を経済連合公司に変えるか,あるいは生産隊レベルで農業生産合作社に変える。第2に,農業生産面での計算単位をその地方の実情に応じて,人民公社,生産大隊生産隊のいずれかのレベルに割りあてる。その結果,1981年現在では全国約5万4,000社の人民公社中,人民公社を基本経営単位とするものはわずか31社で,生産隊を単位とするものが圧倒的割合を占めるにいたった。第3に,農村にみられるようになった各種の個別農家生産責任制によって,農業の基本的な経営単位は個別農家にまで下げられる事態さえおこっている。こうした変化によって,人民公社制度はいまやかつての行政と経済の統一単位としての性格を失ってしまい,農業生産は個別農家の責任制にゆだねられ,公社はそれをこえるレベルでの商工業を担当する経済組織となりつつあるようである。

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