●新保広大寺 しんぽこうだいじ
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新潟の「新保広大寺」とは,新保の広大寺,すなわち新潟県十日町房下組字新保の広大禅寺のことである。それが曲名になったのは,次の事件がおこったためである。1782〜83年(天明2〜3)ごろ,広大寺14代目白岩亮端和尚の時代,前の信濃川の中洲の耕作権をめぐって,近郷の上ノ島(かみのしま)と寺島新田の農民が争った。ところが上ノ島側についた豪商上村藤右衛門邦好は,寺島新田側についている広大寺の和尚を追い出すことを考え,和尚悪口唄をつくって歌わせた。〈新保広大寺ガメクリこいて負けた 袈裟も衣も質に置く〉などの歌詞がそれで,その歌い出しの文句をとって「新保広大寺」と呼ぶようになった。ところで「新保広大寺」の曲は,瞽女の門付け唄「こうといな」らしい。ところが,のちに瞽女たちは,その「新保広大寺」を長篇の字あまり化した「広大寺くずし」と呼ぶ“口説節(くどきぶし)”を編み出した。それがのちの「津軽じょんがら節」などである。