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●新聞紙条例 しんぶんしじょうれい

アジア 日本 AD1868 明治時代

 明治時代の新聞取締法。明治国家は1868年(明治元)6月8日,太政官布令451号をもって,全新聞紙表毎号方許を受けなければ発行できぬこととしたので,各紙は続々廃刊し,一時は市中に新聞皆無にまでなった。しかし1869年(明治2)2月8日,「新聞紙印刷条例」を布告し許可制をとったが,検閲制をとらず,新聞奨励に転じた。しかし,佐幕意識のつよい幕臣は積極的に時勢に対応できなかった。民教論の奔流は,新聞・雑誌による反政府的言論活動が活発化すると,1875年(明治8)7月,讒謗律と新聞紙条例を制定公布した。これは人身攻撃阻止のためであり,かつまた新聞の内務省許可制の強化のための手続き形式を定めている。この2条令の発布は言論新聞界の人々を茫然自失させ,いかなるものを讒謗とするのか適用の範囲について法適用者の解釈手心ができなかったこと,それへの対応策がなく,手がつけられなかった。そのなかに犠牲者が出ている。比較的早く新聞紙統制は整備された。