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●神皇正統記 じんのうしょうとうき

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 北畠親房の著。国文の日本通史として最初のものである。

【成立】著者の奥書に,1339年(延元4)秋,ある童蒙に示すために〈一巻の文書を蓄えず,わずかに最略の皇代記を尋ね得て〉著わしたが,そののちはからずも〈展転書写の輩〉が有るのを見て,1343年(興国4)7月に〈聊か修治を加えて〉この定本を作った,とある。これによると『正統記』の現在本は修正本で,関城陥落の直前に作られ,それ以前に小田城において後提醐天皇崩御の直後に初稿本が作られたことが分かる。そして『元元集』・『紹運篇』・『阿刀本神皇正統記』などと比較研究すると成立過程が明らかとなる。『元元集』は親房が1337年9月から翌年9月まで伊勢に滞在中に神代史の史料を蒐集分類して編さんしたものであり,『紹運篇』はこれを分かりやすく国文でまとめた神代史である。『阿刀本神皇正統記』は神代史と神武天皇紀を在するが,『紹運篇』と現在流布の『正統記』と対比して,これが初稿本であることが明らかとなった。『正統記』の初稿本は神代の部分が『紹運篇』を基にし,人代の部が奥書にいうように『皇代記』によって書いたものである。『皇代記』は中世に広く行われた年代記である。

【著作の対象】奥書に初稿本は〈或童蒙に示すため〉に著わしたとあり,この童蒙は戦前には後村上天皇を指しているとするのが通説であったが,戦後この語は蒙昧を意味し,天皇を指すことは有り得ないとして,関東の武士,とくに結城親朝を指しているという説が広く行われるようになった。しかし最近,平安末から中世にかけて童蒙に示すという用語は少年の教科書著作の際の慣用語であるとともに,童蒙の語は天皇に対しても用いられることが明らかにされ,その内容と相まって初稿本著作の対象は後村上天皇であることが確実となった。次に修正本の対象を示している〈輩(ともがら)〉は,『正統記』においては武士に対してのみ用いられているので,初稿本が当時官軍の将士に愛読されているのを臣民の読みものとなるように書き加えたものであり,これはまた内容によっても知られる。

【内容】『正統紀』の正統編は南宋の僧志磐の著『仏祖統紀』の影響を受けていて,その正統とは神武天皇から後村上天皇にいたる96代の天皇の中で父子継体の一系の天皇を意味し,この正統の天皇には代数のほかに世数を記して示していて,第96代後村上天皇は第50世の正統である。この正統は北朝に対していうものではなく,後村上天皇以前の天皇で子孫に皇位を伝えられていない方に対しての立場である。『正統記』はこのような正統の継続は天照大神の神意を継承した先帝の意志による受禅,三種の神器に示されている正直・慈悲・智慧の三徳による政治によるとし,後村上天皇が天照大神の神慮を仰ぎ,君徳を養い,徳政を布かれるならば,現在の動乱もやがて鎮定し,皇運は無窮に栄えると説いたのである。また修訂本で追加された臣民の道として〈凡そ王土にはらまれて忠をいたし命をすつるは人臣の道なり〉といって絶対的忠誠を説き,あるいは〈君をたふとび民をあはれみ,天にせぐくまり地にぬきあしして〉皇恩・神恩に報いることが為政者の務めであると説くとともに,足利尊氏の不忠を痛烈に非難し,これに与みする武士もその祖先が朝廷に仕えた跡をかえりみて反省すべきことを求めている。

【思想】親房は神道を根幹とし,儒教・仏教を豊かに取り入れて,日本思想を大きく成熟させるとともに,古代末から思想界を支配してきた末法思想・百王説を否定し,あるいは中革崇拝・辺土粟散の風潮を退け,国家的自覚を確立した。近世に入って朱子学者は本書が南朝の正統を説いたものと解し,その名分論・臣道論は尊王攘夷論の発達に大きな影響を与えた。

〔参考文献〕山田孝雄『神皇正統記述義』1932,民友社

平田俊春『神皇正統記の基礎的研究』1979,雄山閣

平田俊春「神皇正統記の〈或童蒙〉の再検討」1983,日本歴史421