●沈南蘋 しんなんぴん
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生没年は不明であるが、中国の清の世宗帝のころ(18世紀前期)活躍したらしく乾隆帝の中ごろ(18世紀後期)までは生存している。名は銓、字は衡、号は南蘋、南評、衡斎。浙江省徳清の人。一説に同省呉興の人ともいう。清代花鳥画の鈎花点葉派に属し、シュウシメン※注1※と一派をなし、画院風の緻密な描写と鈎花点葉体とをあわせた色彩鮮やかな写生風の花鳥画を描き、設色研麗の極点に達していたという。インテリ将軍であった7代将軍吉宗の招きに応じて1731年(享保16)に来日。3年間長崎に滞在して各地とくに江戸から集まる青年画家達を指導した。熊代熊斐(くましろゆうひ)(長崎人)が傑出し、南蘋の弟子宋紫岩についた宋紫石(江戸人、楠本姓)も傑出し、南蘋が日本の花鳥画・写生画に与えた影響は大きく、やがて長崎派、南派を形成するにいたった。円山応挙もまた南蘋派の写生画法に多くを教えられている。
