●壬辰・丁酉の乱 じんしん・ていゆうのらん
アジア 日本 AD1592 室町時代
1592年(文禄1)から1598年(慶長3)まで2次にわたって李氏朝鮮に攻め込んだ日本と李朝・明との戦争。戦国時代の混乱を統一した豊臣秀吉は,李朝に日本と同盟して明を侵攻することを要求して拒否されると,李氏と明国に対し戦争を開始した。1592年4月,15万人の日本軍が釜山に上陸,5月にはソウルを陥落,6月には平壌を占領し咸鏡道一帯を征服した。しかし,海軍は李朝水軍にしばしば撃破され,陸軍も各地で義兵に苦戦した。来援した明軍に平壌を奪還されたが,碧蹄館で明軍を撃破しソウルに集結。日本軍は明軍の和議提案に応じ,1595年(文禄4)4月,全軍南下して和議の進展を待った。和議交渉が決裂(1596・慶長1)したため,1597年(慶長2)戦争再開。14万人の日本軍が侵入し,水軍は朝鮮水軍を撃破。陸軍も慶尚道中心に全羅道一帯まで占領したが,明・朝連合軍の反撃で敗れ,水軍も制海権を失い,秀吉の遺命により撤兵した。〔参考文献〕中村栄孝『日鮮関係史の研究』中,1969,吉川弘文館
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