50音順    検 索

●神護寺両界曼荼羅図 じんごじりょうかいまんだらず

アジア 日本 AD 

 高尾曼荼羅図とも呼ばれる(国宝)。現図曼荼羅図では最古の遺品である。淳和天皇の御願により空海が神護寺のために829〜833年(天長6〜10)までのあいだに描かせたものともいわれる。しかし,わが国での制作品か中国の請来品かはっきりしない。胎蔵界縦448×横408cm,金剛界紙409×横366cmの巨大なもので,花鳥文を織り出した赤紫の綾の地に金銀泥で胎蔵界410尊,金剛界1,461尊を破綻なく整然とのびやかに描いてある。諸尊の輪郭線と衣文線は均一の太さの鉄線描。肉身部は主として金泥で彩り,天衣や綬帯・台座などは金銀泥を交互に用い,光背は金銀泥のぼかしを使っている。緊密な構図と描写の的確さは驚くべきもので,平安初期における画家たちの優れた伝統的技術を示している。この両界曼荼羅図は神護寺が衰えた藤原時代に寺を出て,仁和寺・高野山などを転々としたが,文覚上人の努力によって1184年(元暦1)再び神護寺へ戻ったものといわれる。

〔参考文献〕『日本古寺美術全集』9,1981,集英社

久野健『神護寺』1964,中央公論美術出版