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●神権政治 しんけんせいじ

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 支配者が神または神の子孫として,あるいは支配者が神の代理者として,あるいは神から支配権を授与されたものとして,支配・統治する政治組織・政治制度のこと。語源的にはギリシア語の神を意味するTheos,権力・支配を意味するKratosの合成語であるtheokratiaに由来する。神政政治・神裁政治僧侶政治などとも訳される。神権政治ということばはユダヤ人の歴史家ヨセフス(37〜100ごろ)がその著書“AGainst Apions”(II,16)のなかで最初に使用した。原初的には原始社合のシャーマニズムにみられ,巫や祭司など宗教的指導者が神霊と直接通じて神意と称して集団を統率した。歴史的にはバビロニア・シリア・ヘブライ・エジプトなどの古代オリエント諸国,キリスト教・イスラーム教・仏教などの社会,中国・日本などにもさまざまな形態で現れている。

【イスラエル】古代イスラエルでは,イスラエル人は神から選ばれた選民であり,神自身の民であるという考えから神権政治が行われた。イスラエルの宗教的指導者であるモーゼが唯一絶対の神であるヤーヴェと直接に契約を結び,それを律法として民を指導した。“士師”の時代には士師がイスラエル諸部族の危機にさいしてヤーヴェから授けられたカリスマ(権威)によって政治的・軍事的指導者となって部族連合の支配者となった。“士師”の支配権は王権に等しいものであったが,その支配権は王朝と異なって“士師”の子孫には継承されなかった。初代の王となったサウルはサムエルと民衆の合意によって王に選ばれ王国時代が始まった。王国時代には王の言行は神の意志によるものとされ神権政治が行われた。ダビデ・ソロモンはイェルサレムに“神殿”を建設し,“ヤーヴェの箱(契約の箱)”をそこに移して王朝の正当性が神によって承認されている証しとした。

【西洋】ローマ帝国においては,東方へ勢力を拡大するとともに,オリエントで行われていた君主崇拝の影響を受けるようになった。カエサルは東方世界では現人神として崇拝され,死後は元老院によってdivivsとして祀られ神格化された。後継者アウグストゥスは“神のごときユリウスの子”と呼ばれて,神殿で皇帝崇拝が行われた。3世紀のセウエル朝にもヘレニズム世界の皇帝崇拝が導入され,皇帝は神の恩寵を受け,その支配権は神に由来する聖なるものであるとする“神寵帝理念”が現れた。コンスタンティヌス大帝はキリスト教をもとにした“神寵帝理念”により帝位の神聖化・絶対化と帝国統一をはかった。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)においては,教会と帝国の権威は神によって与えられたものであり,国家は人的事柄を支配するだけでなく教会の監督も行うとされ,教会は国家に従属した。皇帝は教会に干渉し,キリスト教を権力の支えとして利用する皇帝教皇主義をとった。中世のローマ教会では,教皇は使徒ぺテロの後継者として世界を統治するとされた。教皇は宗教的支配権を,皇帝は政治的・世俗的支配権をもち,両者の支配する領域は異なるが,教皇は神から地上における一切の支配権を授けられ,世俗権力を帝王に委託していると考えられた。教権が俗権を支配する教会国家主義による神権政治である。ルネサンスから宗教改革時代にかけては,世俗権力を教会の権限領域から区分する方向に進んだ。カルヴィンは俗権と教権を原理上では区別したが,国家の権力は神から与えられるものとし,国家は教会と協力して聖書理念による神の国を実現させるべきだと主張した。彼はジュネーヴで厳格な規律による神権政治を実行し,神への絶対服従を命じ,“教会規定”を定め牧師・教師・長老・執事からなる教職制を設けて,市民の道徳生活を指導した。しかし支配権力が神意に反することを命じた場合,人民は自己の良心に従い抵抗する権利を認めていた。この説と対立したのが絶対主義君主の王権神受説である。この説は,王権は神から授ったもので,国王は神に対し責任をもち,国王の意志は神の意志であって,人民はこれに反対することは許されないというもの。ジェームズ1世やボーダン・ボシュエによって説かれ,絶対王政の政治理念であった。だが近代社会になると市民階級が進出し,社会契約説などが生まれ,政治は宗教から分離していったため,神権政治の基盤は消滅した。

【東洋】日本の古代における天皇制は,天皇が神の子孫であり,祖先神である神の権威を継承しつつ民に君臨しているという意識の上に成立していた。ことに大化改新後の混乱によって,天皇を頂点とする巨大な国家機構が成立すると,もともと祭政一致の立場において,祭祀の長と政治の長とを兼ねていた天皇は,より神格化されるにいたった。『古事記』や『日本書紀』に記録されている神話・伝説は,このような意識を背景として整備されたものである。天孫降臨・神武東征などの物語は,天皇家が古代国家の中心であり,神の権威のもとに君臨していることを象徴的に示している。武家の政権が成立すると,天皇の権威は政治的に利用されることはあっても,その神秘性はほとんど消えてしまった。しかし明治以後の日本において,天皇の神格化が再び推進されたことは注目すべきであり,政治における前近代性が色濃く残存していたことの一例証となっている。中国では古代殷帝国が一種の神権政治のもとにおかれていた。殷王は最高神天の子であり,地上における天の代理者として,宗教的権威のもとに民に君臨した。王は重要な国事の決定にあたり,亀卜を行って天意を確かめた。しかし周代以降,儒教道徳的な思想が君主に対する観念を規定するようになり,とくに〈易姓革命〉の思想は,天子ということばが本来もっている君主の神秘的性格を,著しく稀薄化するにいたった。〈易姓革命〉の語は,天意による有徳者への政権交代を原義とするが,現実の政治の動きでは,そうでないことは当然であり,神権政治としての性格はほとんど失われていったのである。