●新劇 しんげき
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単に新しい演劇とするのではなく,歴史的な含み,ニュアンスを蓄えた日本独自の用語である。まず“新劇は赤の芝居だ”と取り沙汰さたことについて。“赤”とは共産主義(communism)を嫌って皮肉に使う俗語。この“赤”的新劇の最盛期は,この主義にもとづく左翼運動が燃えひろがった時期,昭和1桁時代(1926〜35)に照応する。この主義は革命を志向するから,旧憲法の戦前では猛烈に弾圧された。微温的な社会主義(socialism)さえ白眼視される時勢であったから,現実を直視して矛盾があれば汲み取り,批判を加えるのを忘れないという程度の「厳しさ」の演劇であっても,“赤”的として上述の悪口をいわれた。しかし元来は,そんな政治的含みはない。「新劇」なる用語の使われはじめは,1913年(明治43)の朝日新聞の劇評から,とされる。また同年3月,劇作家中村吉蔵らの「新社会劇団」の発足趣意書に,〈吾々が志す所は社会教育の基本に立ちて,今代の実社会を忌憚なく写実的に描写せる新劇を,最も真摯的に演出し,以て社会的生活の意義と内容とを表明するにあり〉とあるごときが一例であるが,政治思想とは無縁である。その前に「新」を冠した演劇があった“旧派”である伝統的な歌舞伎に対し,1887年(明治20)を過ぎたころから時局に即した壮士芝居に端を発した新しい演劇が,荒唐無稽でない現実的な劇として発展し洗練され,“新派”なる呼称で呼ばれるようになった。しかし,旧派の様式を和洋折衷的に継承する路線をたどり,女形(おやま)が重用され,主題もお涙頂戴式の人情劇を名作とするにいたれば,すでに“大衆演劇”に属する。また,大衆演劇は大劇場の舞台での上演を可とするに反し,新劇は小劇場を選ぶ。新劇は緻密な演出を要求するからである。
新劇が登場したころ“新劇は翻訳劇だ”といわれた。日本の新劇発祥は前述のように1913年でその後,群小の新劇団が生まれたが,なかでも名高いのが,小山内薫(1881〜1925)と市川左団次(2代目,1880〜1940)とによる「自由劇場」(1909〜14)−−19世紀末のフランスの自由劇場の運動に由来する−−と,島村抱月(1918没)と抱月の後を追って自殺した松井須磨子との「芸術座」,岡田嘉子の「舞台協会」(1913〜23)。少し遅れて小山内と土方与志とによる「築地小劇場」。これは自由な運営を可能にした日本最初の有形劇場で,1954年(昭和29)に建設された俳優座劇場はその継承である。
ところで上述の運動は,歌舞伎や新派とは違って固有の伝統をもっていないので,さしあたり先進国の知名な劇が採用された。翻訳劇の生まれるゆえんである。明治期から好まれたシェークスピアをはじめ,おもなものはイプセン・ゴーリキー・メーテルリンク・トルストイ・チェホフ・シングなど。築地小劇場のごときは最初の3年間は翻訳劇のみを上演したほどである。ちなみに小説を“創作小説”とはいわないのに劇となると“創作劇”と称するのもおかしなことである。しかし近年,以上の傾向が消えつつあるのは喜ばしい。新劇が現代劇の代用語として使われはじめているし,劇作家も上述の含みから解放され,真の意味で新しい新劇に取り組んでいる。