●進化主義人類学 しんかしゅぎじんるいがく
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【文化進化論】19世紀の後半,自然科学における生物進化論の登場に並行して,イギリスの哲学者スペンサーらの影響のもと,社会進化論あるいは文化進化論が芽生えた。それは,人類の文化がみな一定の段階をへて低次から高次へと進化するという前堤に立ち,文明社会と未開社会との文化の相違は進化の段階差にほかならないとする見方である。1861年にはメインが『古代法』において法の発展を論じ,同年バッハオーフェンは『母権論』において父権的父系社会に対する母権的母系社会の先行を説いている。のちの氏族研究に大きな影響を与えたクーランジュの『古代都市』や,婚姻制度の起源と変遷を論じたマクレナンの『原始的婚姻』も相次いで刊行されている。かかる個別的な研究は,アメリカのモーガンの『古代社会』(1877)の壮大な図式に大成化されることになる。彼は,人類史を野蛮・未開・文明の3段階に大別し,野蛮・未開をさらに低・中・高に細分する。彼は生活手段の技術の相違によってそれぞれの段階を特徴づけ,婚姻・家族・親族の形態をこの進化の諸段階に結びつけている。この図式は,社会の進歩が生産技術の発達に伴うとする点で,マルクスらの関心を呼び,1884年エンゲルスはこれをもとに『家族,私有財産および国家の起源』を著している。一方,人類学の父と呼ばれるイギリスのタイラーは進化主義に加え,文化の伝播の可能性も認めている。彼はモルガンが回避した宗教観念などにも関心を向け,主著『原始文化』(1871)では,宗教・神話・芸術など幅広い問題を扱っている。こうした彼の視点は,呪術が宗教に先行すると説いたフレーザーに影響を与え,『金枝篇』が誕生することになる。以上の理論は20世紀にいたり,さまざまな批判を受けた。それは,これらの歴史的主張が検証困難であること,断片的資料を素材とし不備や誤りの少なくなかったこと,西ヨーロッパ文化を進化の頂点に置いた自民族中心主義,そして文化進化論それ自体への批判であった。さらに文化伝播主義の隆盛,1920年代の機能主義の登場が進化主義の衰退に拍車をかけたのである。【新進化主義】反進化主義的風潮の強かったアメリカの人類学界において1940年代,ミシガン大学のホワイトらが進化論を再興することになる。彼やスチュワード,彼らの弟子たちが新進化主義者と呼ばれる人類学者たちである。ホワイトは,単位労働力あたりのエネルギー使用量の増大につれて文化が発達すると説き,エネルギー使用量と,エネルギーを効率的に使用する技術との積を進化の段階の指標とした。こうして彼は,[1]人間の身体エネルギー,[2]農業革命による太陽エネルギー,[3]地下資源からのエネルギー,[4]核エネルギーなど,エネルギー使用の段階をもとに進化の4段階を設定している。一方,スチュワードは,ホワイトやイギリスの考古学者チャイルドの理論が19世紀の“単系進化論”同様,進化の諸段階を一様で普遍的なものととらえる点で“普遍進化論”と呼び,スチュワード自身のものを“多系進化論”と名付けた。彼は具体的な諸文化の変化の平行現象に注目し,その説明を生態学的条件に求めた。このような方法を彼自身,文化生態学と呼び,その後の生態人類学の諸研究に刺激を与えることになる。ホワイトとスチュワードの共通の弟子であるサーヴィスとサーリンズは,進化は,多系進化に相当する“特殊進化”と普遍進化に相当する“一般進化”の2方向に進むものとし,スチュワードとホワイトの理論の接合を試みている。特殊進化は,個々の文化が環境に適応していく継起的な変化であるが,一般進化は,諸文化を絶対的基準により直線上に配列するものであるから時間的連続性は問題外となる。サーヴィスは,一般進化の基準として[1]バンド,[2]部族,[3]首長制社会,[4]国家,[5]産業社会という5段階を設定している。なお,サーヴィスはのちに特殊進化を“内旋”といいかえたが,その意図は必ずしも明確ではない。以上の2世代にわたる新進化主義者たちの努力によりアメリカの人類学界においては進化論が再び市民権を獲得したのである。
〔参考文献〕サーリンズ・サーヴィス編著,山田隆治訳『進化と文化』1976,新泉社
サーヴィス,松園万亀雄・小川正恭訳『文化進化論―理論と応用』1977,社会思想社