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●ジロンド派 ジロンドは

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 フランス革命期,立法議会で左翼,国民公会で右翼を占めたブルジョワジーの党派。ヴェルニョーなどジロンド県出身の議員が活動的であったことからこの名がつく。立法議会では王権を制約しようとしてフイヤン派に対抗。聖戦論を唱え国王の態度選択を迫った。1792年3月15日,ローランなどの入閣を果たし4月20日には国王に対オーストリア宣戦布告をさせた。ブリッソの機関誌「フランス愛国者」ではこのころすでに共和主義を標榜していたが8月10日事件直前からは合法主義に転じ,9月虐殺を非難。国民公会では判別可能の749議席中150ほどを占め,当初ダントン派と,ついで中間の平原派と組んで政権を握った。国王裁判では人民投票を要求し王の命を救おうとした。旧貴族の哲学者コンドルセをはじめ教養があり有弁だったが,内部がブリッソ系・ローラン系とに分かれ,戦争遂行上の無能を露呈し,食糧危機に無策であったうえ,マラー告発エベール逮捕などでサン=キュロットの反発をかった。そのため,1793年6月2日,その圧力下に22議員が国民公会より追放された。ナント・ボルドー・マルセイユなど地方で連邦主義反乱を組織したが失敗。10月末に裁判ののち21名が処刑され,コンドルセやローランは自殺した。それでも,ルーヴェ・ランジュイネ・イスナールはテルミドール反動後,議席を回復,総裁政府下でも議員として活躍した。