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●シラクサ Siracusa

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 古代にはシュラクサイΣυρ※注1※χουσαιと呼ばれた。前734年ごろコリントスのアルキアスがシチリア東岸に建設したドリス人植民市。沖の島と対岸が大小二つの入江をつくり,天然の良港を提供した。植民者の子孫は原住民を征服して隷農とし,貴族政をしいた。この時期,シュラクサイコリントスの西方貿易の拠点として繁栄した。前5世紀初頭ゲラの僣主ヒッポクラテスに敗れて民主革命がおこり,貴族は追放された。ヒッポクテスの後継者ゲロンは亡命者の復帰運動を利用してシュラクサイ僣主になり,帝国を築いた。彼はヒメラの戦いでカルタゴの野望を打ちくだいた。彼の兄弟ヒエロンのもとでシュラクサイは文化的にもシチリアの指導的ポリスとなった。前466年にヒエロンが死ぬと民主政が復興したが,僣主時代に新たに市民となった人々や傭兵によってしばらくは内紛がつづいた。ペロポンネソス戦争中はシチリア島の攻略に専念したが,近隣のポリスとの衝突が西方進出を狙うアテナイに口実を与え,前427年の小規模な遠征ののち,前415年アテナイはアルキビアデスの戦略をいれてシュラクサイに大遠征軍を派遣した。包囲されて落城の瀬戸際にあったシュラクサイを救ったのは,市民ヘルモクラテスの政治手腕,コリントスとスパルタの援助,アテナイ国内の政争であった。ヘルモクラテスの死後,前406年にディオニシオス1世僣主になり,シュラクサイに繁栄をもたらした。彼は都市の要塞化を完成し,宿敵カルタゴと3度戦ってこれを退け,シチリアの大半を支配し,南イタリアをも版図に収めた。しかし,プラトンに失望を与えたディオニシオス2世に対し,前356年ディオンの蜂起があった。こののち都市の勢力は衰退するが,事態の悪化を食い止めたのは,母国コリントスから招かれて国制改革につとめたティモレオンであった。前317年アガトクレスが権力を握って帝国を再建したが,彼の死後混乱が再発し,カルタゴの進出を許すことになった。ヒエロン2世の登場はつかのまの平和をもたらしたが,ローマとカルタゴの勢力争いの狭間にいるシュラクサイの独立は長くはつづかなかった。前215年カルタゴと結んだシュラクサイはローマの攻撃を受けた。アルキメデスの卓抜した働きにもかかわらず,2年の籠城ののち降伏した。ローマ時代にもシュラクサイは政治と経済の中心地であった。280年にフランクの海賊の略奪を受けたが,繁栄をつづけ,6世紀には一時ビザンツ帝国の首都になった。878年のサラセンの占領により,政治の中心はパレルモに移ったが,依然として重要な港湾都市であり,11世紀にノルマンの侵入を経験した。その後アラゴンの支配下で総督府が置かれ,19世紀後半にイタリア王国に統合された。

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