●白河天皇 しらかわてんのう
アジア 日本 AD1053 平安時代
1053〜1129 第72代天皇(在位1072〜86)。諱は貞仁(さだひと)。後三条天皇の第一皇子で,母は女御藤原茂子(中納言公成の娘,春宮大夫能信の養女)。延久1年(1069)皇太子となり,同4年20歳で即位。翌5年父の後三条上皇が病没すると,その遺志をついで荘園整理などに力を入れ,応徳3年(1086)わずか8歳の皇子善仁親王(堀河天皇)に譲位してからも,上皇として“院政”を開始し,つづいて孫の鳥羽天皇と曽孫の崇徳天皇の3代にわたって,大治4年(1129)に77歳で崩御するまで半世紀近く〈治天の君〉であった。そのあいだ,村上源氏など有能な人材を院の近臣に登用し,創設した院の北面の武士に新興武士などをあて,受領の経済力を造宮・造寺(法勝寺・白河新堂・最勝寺・円勝寺など)に活用した。『中右記』に〈意に任せ法に拘らず除目叙位を行ひ給ふ〉と呼ばれている。仏教への傾倒ぶりも破格で,熊野三山に8度,高野山に4度も参詣し,法勝寺などを建立して莫大な仏事を行い,嘉保3年(1096)最愛の皇女が病没すると落飾して法皇となり(法名融観),また出家した皇子覚行に親王宣下を行い“法親王”の例を用いた。陵(成菩提院陵)は京都市伏見区にある。〔参考文献〕河野房男『平安末期政治史研究』1979,東京堂出版