50音順    検 索

●ジョーレス

AD1859 

 1859〜1914 第三共和下フランスの代表的社会主義者・政治家。パリ高等師範学校に学び,哲学の教授資格を取得。1885年に下院議員,1889年の落選後は一時教壇に復帰し,『感覚世界の実在について』で学位。1893年に社会主義者として再選。ドレフュス事件ではドレフュス支持派として論陣をはる。当時四分五裂の社会主義諸党派の統一に尽力したが,1899年のミルラン入閣問題での入閣支持の立場によって,ジョーレスのフランス社会党とゲード率いるフランス国社会党に二分。1904年の第2インターナショナル=アムステルダム大会の決議にもとづいて結成された,いわゆる統一社会党(第2インターナショナル=フランス支部)ではゲートとならぶ指導者。議会ではクレマンソーと雄弁をもってわたりあう。1904年「ユマニテ」紙(統一社会党の機関紙。1920年の分裂後はフランス共産党機関紙となる)を創刊。タンジール港事件など,ドイツとの緊張の高まりのなかで,反戦・平和を訴え,1911年には『新軍隊』の中で侵略戦を否定し,祖国防衛のための予備軍の組織化を訴えた。1912年の第2インター=バーゼル大会,1914年のブリュッセル会議など国際的にも活躍し,戦争防止に尽力したが,1914年7月31日,パリで暗殺された。第一次世界大戦へのフランスの参加(対独宣戦)は8月3日のことである。