●初潮 しょちょう
AD 【女の一生と初潮】初潮は〈生理学上ダイナミックな女の一生の幕開けである〉とマーガレット=ミードは述べている。男性は、生理学的なダイナミックさを欠くゆえに、変化の少ない成長過程に句読点を打つことを目的として割礼や瘢痕文身などを施し、子供から大人への地位の移行を明確にする必要がある。これに対し女性は、処女性の喪失・出産・閉経を境として不可避的に不連続で劇的な地位の移行を強いられる。初潮を境として少女は一人前の女への階段を上り始めるのである。調査された150の未開社会のうち、70の社会では少女の初潮に際しなんらかの儀礼を行っている。初潮は、祝福をもって迎えられることが多いが、一方では、血の忌みなどにより危険なことであるとみなされ、隔離され太陽から遮蔽されることもある。
【初潮儀礼の分布】初潮儀礼は、血の忌みに関わり月経小屋や産屋と結びつくことが多い。月経小屋の分布は、ミクロネシア・メラネシア・ポリネシア・ニューギニアから日本の太平洋岸・北アメリカの太平洋岸、またインド・アフリカの若干の地方にもみられる。
【初潮儀礼の事例】[1]シャスタ族-カリフォルニア北部に住むシャスタ族では、男子のイニシエーションは明確に見受けられないが、女子の初潮儀礼は顕著である。少女は初潮を迎えると、母の月経小屋か、彼女のために新築された別屋に隔離される。太陽や月の光を遮るためにカケスの羽毛でつくった大きな頭飾りをかぶり、赤い塗料で額からあごまで縦線を何本も引く。別屋での少女の身の回りの世話は母か老女がする。少女は食物を口にしたり、顔を洗ったり、髪を編んだりする際に自分の手を使ってはならない。自分の手を使う替わりに、つねにかき棒を携えている。横たわって寝ることもできず枕で頭を支え、座ったまま眠る。母か介添えの老女以外の者とは接触してはならず、何事もゆっくりした動作で行い、じかに物を見ることも火に近寄ることも禁じられている。厳しい食事制限が課せられ、水の代わりに湯を飲まねばならない。少女の傍らには魔よけのための杖が置かれるが、これは毎朝新しいものと取り替えられ、古い杖は焼き捨てる。少女は日中、数人の娘仲間に付き添われ、夜の舞踊のために薪を集めに行くが、その途中で出会った者は必ず彼女に道を譲らなくてはならない。少女は隔離期間にみた夢の内容を母親へ報告するが、この夢は真実であると考えられる。夜の舞踊の参加者の大半は女性で、最初の4日間がとくに盛大で夜を徹して行われる。少女は、かがり火を背にして東向きに座り、疲れると後ろから体を支えてもらう。少女を中心にして女性は輪になって踊り、若干の男性も戦さのときの踊りを踊る。疲労しきった少女は、母か介添えの老女に頭飾りをはずしてもらい、舞踊の輪の外へ空中高く東に向かって投げ出される。その後川で身を清め正装し、隔離生活を無事終了したことを祝う盛大な宴会に臨む。シャスタ族の社会では、初潮を迎えた少女を不安定で危険な存在として忌むが、少女に厳しい隔離と試練を課し、女たちの協力により盛大な初潮儀礼を行うことにより、少女を一人前の女にし、結婚の資格を与えるのである。[2]アンダマン島民-ベンガル湾東部に位置するアンダマン諸島では、初潮を迎えた少女は3日間、海か川で水浴びする以外は小屋の外に出ることを禁じられている。少女は葉の束で飾られ、腕組みをして正座をし、最初の24時間は、口をきくことも眠ることも許されない。3日間は指で食物に触れてはならなず、次の1月間は毎朝、明け方に水浴びをしなければならない。隔離期間を境とし、それまで用いていた名前を捨て、“花名”−−その儀礼のときに咲いている木や植物の名前−−をつける。この名前は結婚のときまで使われ、娘は初潮儀礼以降、1年以上は食事を制限される。
〔参考文献〕マーガレット=ミード、田中寿美子・加藤秀俊訳『男性と女性』上、1970、東京創元社
大林太良(編)『儀礼 現代のエスプリNo.60』1972、至文堂
大林太良(編)『母権制の謎』1975、評論社
Radcliff-Brown, A. R. 『The Andaman Islanders』1964、The Free Press