●徐家匯 じょかわい
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中国上海市内南西部にある地名。徐は明末の大学士でカトリック教徒であった徐光啓がこの地の出身で,その子孫がここに住んだことから取られた名であるし,匯(わい)は水流が集まるところの意味で,ここで二つのクリークが合流しているのでこう呼ばれた。1608年(万暦36)徐光啓は郷里にカトリシズムをひろめるために,この地にL.カッタネオ(中国名:郭居静1560〜1640)を呼び活動させ,住院と教会堂を建ててやった。光啓の死後その子の驥(き),驥の息女で評家に嫁したカンディダウが中心となって宣教師の布教を援助し,この教会は多数の信者を出した。解散されたイエズス会はこの教会をいったん失ったが,19世紀に復活したのち再入国し,壮大な教会堂を建てた。20世紀の初頭には神学校・小中学校・研究所・天文台・博物館などを擁する大施設に発展した。またここの印刷所からは多数の宗教・西洋科学・シナ学に関する書籍が出版された。これらの施設の現状がどうなっているか不明だが,光啓の墓は残っているようである。