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●ジョカージの反乱 ジョカージのはんらん

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1910 ドイツ帝国

 カロリン諸島ポーンペイ(ポナペ)島でジョカージ地区の住民がドイツ統治に対して武装蜂起した反乱。1910年10月に発生し翌年2月に鎮圧された。ポーンペイ島は1886年からスペインの統治を受けたが,スペイン統治は,すでに30余年も布教していた米国系のプロテスタントを排し,住民にカトリックを押しつける面が強かったため,島の各地で反乱が断続した。1899年スペインに代わってドイツ統治になり,一応は平穏な時代がつづき,ドイツ人はココヤシやココアのプランテーションを開発するなど商権の拡大につとめていたが,1909年4代目の知事として,アフリカのドイツ領で住民を苛酷に扱って反乱をひきおこしたことのあるベーダーが着任すると,住民に対して体罰を導入したり,ドイツ人に協力的でない酋長を流刑にすると脅迫したりして反感を招いていた。1910年10月ジョカージの有力者が鞭で打たれたことに端を発し,ジョカージの住民が武装蜂起,ベーダー知事や道路工事技師などを殺害した。ドイツ側ではニューギニアから軍艦コルモラン・プラネット両号と多数のメラネシア人警察兵を派遣し,また中国にあったドイツ東洋艦隊からは新鋭軽巡洋艦エムデン・ニュルンベルク両号が派遣された。本格的な鎮圧作戦は1911年1月13日に始まり,2月22日作戦が終了した。2月24日首謀者15名が銃殺され,ほかのジョカージ住民はヤップ島に永久強制移住させられ,その一部はパラオのアンガウルリン鉱採掘の強制労働につかされた。