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●諸葛亮 しょかつりょう

アジア 中華人民共和国 AD181 後漢

 181〜234 中国,三国蜀の名宰相。琅邪郡陽都(山東省沂水県南)の人。字は孔明。早く父を失い叔父玄に従い劉表治下の荊州へ移住。玄の死後は襄陽の西,隆中で自耕し荊州在住の士土人と交わり,ホウトツ※注1※とともに〈臥龍,鳳雛〉と並称された。207年(建安12)表の客将劉備の三顧の礼による招聘を受け,荊州・益州を根拠地として呉と結び,中原の変事を待ち天下を統一するという天下三分の計を開陳して出仕した。208年(建安13)曹操が南下し表が死亡すると,亮は使者となり孫権と同盟して赤壁の戦いに操を破り,備に荊州西部を領有させる。さらに214年(建安19)入封して劉璋を滅ぼし219年(建安24)漢中に魏を破り,220年(延康1)曹丕が帝位につくと221年(章武1)備を帝位につけて蜀漢政権を成立させ,丞相,ロク※注2※尚書事として内政にあたった。223年(章武3)備が死亡すると後嗣劉禪を補佐して諸政を統べ,225年(建興5)自ら南征して後顧の憂いを断ち,227年(建興5)出師表を上疏して魏征討に着手する。228年(建興6)祁山に進出,信任する馬謖を司令とし街亭で魏と戦うが,謖の命令無視で大敗,229年(建興7)武都・陰平の平定後は魏将司馬懿の持久戦で戦線は膠着,234年(建興12)五丈原で陣没した。諸葛亮は公平無私・信賞必罰の政治を行い蜀は治まり民は亮を敬愛した。後世亮は忠誠無私の名臣とたたえられ『三国志演義』では神算鬼謀の大軍師として描かれている。

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