●縄文式土器 じょうもんしきどき
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わが国の新石器時代である縄文時代の土器。一般に800度前後程度の低い温度で焼成されたため,黒褐色または茶褐色を呈するものが多い。器面に縄をころがした文様がつけられることが多いため,縄文式土器あるいは縄文土器の名がつけられた。土器をつくる材料は,縄文人の生活範囲から粘土が求められ,粘土をよく練って紐状にのばしたものを底の方から巻き上げて形をつくり,内外の面を整えて文様をつけ,乾燥させて,野焼きにした。粘土には,乾燥や焼成中のひび割れを防ぐために,雲母・滑石・黒鉛・貝殻・繊維などを混入したものもある。縄文式土器には,さまざまな形の変化があり,装飾文様も複雑であり,それらが,時代と地方によっていろいろ差異をもつことが知られているが,どの地方,どの時代でも,一般的なのは,口が開いた形の深鉢形のものであり,それは,つくりや文様もあまり丁寧ではない。とくに古い時期の縄文式土器は,ほとんどが粗雑な深鉢であり,器種に変化が多くなる後半期の土器でも,7割くらいは,粗製の深鉢である。それらは,ナベカマとして,煮炊き用の土器であった。縄文時代に土器が使用され始めたことは,旧石器時代からあった食物を焼く,あるいは蒸し焼きする方法以外に煮炊きする方法が加わったことを意味する。食生活の大進歩であった。煮炊き用以外にも,食物を盛る浅い鉢や皿,柱状中空の注口がつく土器,片口のついた土器もある。また,高坏形土器,多孔の底をもつ土器,双口の土器,香炉の形をした土器などと形の変化はさまざまである。首を細くつくった壺形土器がきわめて少ない点が,弥生時代の穀物貯蔵用壺形土器と対比され,縄文時代の性格をよく表している。縄文式土器は,紀元前3世紀ごろに終末をとげるまでの7,000〜8,000年もの長期にわたってつくり使われたから,時代によって形や文様に変化が多い。それを草創期・早期・前期・中期・後期・晩期と大別し,さらにおのおの数期の小期に区分される。最古の草創期は,口がひらいた深い鉢の底は平らで,細い粘土紐などをはりつけたり,爪形のような刻み文をつけたりする。早期の土器は底がとがった深鉢形で,縄文や縄を棒にまいてころばした撚糸文,棒にきざみ目を刻んだのを回転させた押型文,それに貝殻文様などをつける。前期には,縄文が盛んになったり,細い竹管状の工具で文様をつけた平底の深鉢が盛んで,皿や浅い鉢も現れる。中期には,中部地方や関東地方で最も装飾の多い土器がつくられる。全体に立体的な文様構成が盛んである。後期には,文様が繊細になり,線がき文様で区画し,縄文をつけた部分と縄文をみがいて消した部分にわけた磨消縄文が,日本列島のほぼ全体にひろがる。この時期には,比較的に器種の変化がとぼしい西日本の縄文式土器にも,注口土器・皿形土器など種類がやや多くなる。しかし,後期も終わりごろには,西日本は,文様の減少あるいは,文様の直線化単純化がみられ,それに対し,東日本では,華麗な曲線文への傾向をみせる。この傾向は,晩期になるとさらに進んで,東北地方の器種が豊富で流麗な亀ケ岡式土器に代表される東北日本と無文化単純化の西南日本との差がきわめて明瞭になる。無文化単純化の進んだ西南日本の最終末の縄文式土器の段階には,一部で稲作農耕を開始していることが明らかになった。縄文式土器は,長期にわたる縄文時代の遺物中で,最も多量に残された資料であり,器形・文様が時代と地域によって多彩な変化をみせるため,縄文土器を分類することで縄文時代の年代を示す尺度に用いられ,また,地域間の関係を示す資料としても活用される。また,文様や器形が多岐にわたる縄文式土器は,芸術的観点からも注目を集める。〔参考文献〕山内清男『日本先史土器の縄紋』1979,日本先史学会
小林達雄『縄文土器1』日本の原始美術1,1979,講談社
佐原真『縄文土器2』日本の原始美術2,1979,講談社