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●消防組 しょうぼうぐみ

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 明治の初めに,それまでの「町火消」の名称を「消防組」と改めた。また,このころ初めて蒸気駆動の消防ポンプをイギリスから輸入した。わが国の消防組織がいつごろから発生したかは,必ずしもはっきりしていない。記録によると平安時代に,宮殿の防火を任務とした「禁裡火消」というものがあったといわれる。だが,消防の組織化が真剣に考えられるようになるのは,火災の頻発に悩まされた江戸期に入ってからである。

【わが国の消防の沿革】江戸幕府は1658年(万治1)に旗本に命じ「定火消」と称する消防隊を設置させた。定火消ほどの専門組織ではないが,大名火消・方角火消・八丁火消などおもに江戸城と武家屋敷を火災から守るための組織があり,一般町家のほうには自治組織としての「店(たな)火消」があった。しかし,この店火消は制度上の不備が多かったので1719年(享保4)に,江戸南町奉行,大岡越前守は店火消を改組発展させ,公設消防組織の「町火消」を設立した。いわゆる「いろは47組」で,各組とも頭取の下に頭(かしら)・纏持・梯子持・平人・人足の5階級があった。この町火消が今日の消防団の前身である。その後,維新による行政機構の改革で東京府は1870年(明治3)に消防局を設置し,それを機に江戸以来の町火消を改組,「消防組」と改称した。1774年に東京警視庁が創設されると,府の消防業務は警視庁に移管され,同庁が制定した消防組に関する消防章程は明治期消防の組織活動の基礎となった。昭和期に入ると軍国主義の風潮が高まり,1930年(昭和5)ごろから軍部の要請で民間防空団体としての防護団が各地に結成されるようになる。1937年,日中戦争が勃発し,防空法が制定され,消防も戦時下の国防体制の一環として再編整備を迫られるようになり,1939年に内務省は消防組と防護団を解消し,勅令により新たに「警防団」を組織した。これで発足以来60年の消防組は消え,軍部の指導する警防団が同年4月1日より全国一斉に発足,団数約1,100,団員数約300万人に達していた。

【常設消防機関】明治期になってもなおしばらくの期間,公設の消防組織は東京府以外の都市ではほとんどなく,あっても自治組織か私設消防隊の規模を出ていない。このような実情の改善をはかるために政府は1894年(明治27)に,勅令で消防組規程を制定,消防組は府県知事の管掌とし,全国的な制度の統一をはかった。また東京以外の主要都市では大正期の初めごろまでに大阪・名古屋・神戸・京都・函館で常設消防署(部)が開設されている。このほか特設消防署を設置する都市も増え,戦争末期の1944年(昭和19)ごろには13都道府県36都市に及び,職員数も3万人を超えている。町火消から消防組に変わった当時の消火器具は貧弱で,和製手押しポンプの龍吐水が唯一の道具だったが,消防制度の近代化と相まって消防器具・設備の機械化も発達した。東京で公設消防栓が設置されたのが1899年,横浜・名古屋,ついで東京にポンプ自動車が備えられるのが1914〜19年,電話交換の自動化によりダイヤル112番(のちに119番に改正)が開通するのは1926年(大正15)であり,以来消防力は増強された。

【消防機構の独立】第二次世界大戦が終わると,戦時中の警防団は解散,1947年4月に公布された消防団令により全国の市町村ごとに自主的な消防団が組織された。すなわち,従来は警察の管轄下にあった消防が分離独立し,戦後の地方自治の理想にもとづいた自治消防の機構を確立することになったのである。1948年3月には消防組織法により「国家消防庁」が国家機関として発足,これは国家公安委員会の下に置かれることになった。なお,消防署員には吏員と職員がある。吏員は階級があり,制服を着用し消防業務に従事する者で,階級には消防総監・消防司監・消防正監・消防監・消防司令長・消防司令・消防司令補・消防士長・消防士となっている,以上の公設機関としての消防団のほかに各地方・町村・大企業や工場などで任意組織の消防隊をもつ所もある。婦人防火隊や少年消防クラブもその一種。

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