●章炳麟 しょうへいりん
アジア 中華人民共和国 AD1869 清
1869〜1936 中国,清末民国初の革命家・学者。浙江省余杭の人。字は枚叔,号は太炎。孫文・黄興とともに辛亥革命の三尊の一人とされる。清朝考証学の集大成者ユエツ※注1※に『春秋左氏伝』を学び,音韻学・仏教学・史学にも精通した。初め康有為などの変法派に接近し,戊戌政変後ともに日本に亡命している。しかし,今文派・公羊学者とは根本的に相容れず,伝統的な郷紳知識層の民族主義の見地から,夷狄(満州族)を駆逐し中華を再興するという,いわゆる滅満興漢の種族革命思想を堤唱した。数度にわたる日本亡命では,孫文と提携するとともに,ようやく増加しはじめた中国人留日学生に古典学を講義しながら,民族主義をも鼓吹するなどして,多大の影響力を与えた。中国同盟会の結成にも積極的に参加し,機関誌「民報」の編集長として健筆をふるった。しかしながら,光復という伝統的な種族革命論にあくまで固執する章炳麟は,西欧的な民権の確立を第一とする孫文とは,根本的に相容れない思想の持ち主でもあった。ために,孫文ともしだいに疎遠となった。辛亥革命後は,南京臨時政府の枢密顧問・大総統府高等顧問などに就任した。しかるに第二革命後は,志を得ないまま政界から引退し,上海にあって学問に没頭し,『文始』『新方言』などで「小学」の概念を樹立した。
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