●常平倉 じょうへいそう
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米価平準の法。豊作で米価が安いときは買い入れ,不作で高いときは売り出して,米価を適正に保つための貯穀制度をいう。古く中国で発達したが,日本では,759年(天平宝字3)藤原仲麻呂の建議で実施された。諸国の租米の一部を倉に貯え,米価の調節とともに,利益によって窮民の救済をめざした。平安時代にもときどき実施された記録があるが,その後長く廃絶された。江戸時代にいたって善政の一策として,水戸・会津・土佐・薩摩などの諸藩で実施されている。水戸藩の場合でみると,徳川斉昭によって1831年(天保2),手元金1,000両,役所金4,000両を出金し,まず,ひえ6万俵を購入して発足した。金10両で,もみ40俵の値段を基準とし,45俵より下値のときは買い入れ,35俵より高値のときは売りはらうと定めている。米価平準とともに,備荒貯穀の役にもたち,さらに領主層の利益もみこまれる一石三鳥の良策となる囲米制度としたものである。