●浄・不浄の価値観 じょう・ふじょうのかちかん
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【宗教的価値観】人間の集団が社会生活を営むうえで,その成員が一定の価値観を共有することは不可欠である。価値観の内容がそれぞれの社会で異なるだけではなく,その表現の仕方も異なる。また,人間の社会活動の側面に応じて,政治的価値観・経済的価値観・宗教的価値観というように,それぞれ異なる内容をもちながらたがいに関連しあって,その社会の総体的価値体系を構成する。一般に大規模社会が人間の社会活動の局面に応じた価値観を発達させているのに対して,未開社会・伝統的社会と呼ばれるような社会ではその区別があいまいで,宗教的価値観がその社会的価値の総体を占めている。また,高度に組織化・制度化された社会ではあったが,古代エジプトや古代中国あるいはインカ王国などでは,宗教的価値観が絶対的優勢を保っていた。現在でも革命後のイランのように,宗教的価値観を正面におし出すことによって社会的な混乱を収拾することも可能であり,宗教的価値観が変化しにくいことを示している。【宗教的価値の表現としての浄・不浄】宗教的価値は複雑な体系をもってはいるが,一方ある種の要素に集約して表現されることも多い。たとえば,カトリック教における「罪」がそれである。罪のないことが宗教的に高い価値を,罪深いことが低い価値を意味し,罪を償うことが宗教的に正しい行為とされる。そして,その「罪」の内容を規定することによって,複雑な信仰体系を,明確でかつわかりやすい形で一般の人々に示すことが可能となる。ヒンドゥー教や日本の神道においては,清浄性に宗教的に高い価値を,不浄性に低い価値を与えている。いいかえれば,宗教的価値は浄・不浄の度合いによってその上下が示され,なにが清浄であり,なにが不浄であるかを規定することによって価値の内容が示される。つまり,宗教的価値観が普遍化され,明確で理解されやすい形で一般の人々に対して提示されるのである。清浄性とそれに対立する不浄性は,多かれ少なかれ,ほとんどすべての宗教における価値の標示として用いられている。キリスト教における「罪なき」状態は清浄な状態を意味する。原始宗教などと呼ばれる宗教では,もっと直接的に浄・不浄が宗教的価値と結びついている。
【神道における浄・不浄】日本の神道は明確な教義や神観念をもたない代わりに,その価値体系を清浄性と不浄性とに集約して発達させてきた。神は清浄のきわみであり,清浄な状態においてのみ天下り,神にかかわる事柄はそれゆえに完全に清浄でなければならない。神に不浄がかかるようなことがあれば,神の怒りをひきおこし,それは人間に災いを与える。人間に厄災をもたらす悪霊や邪神は不浄であり,不浄性は人間にさまざまな悪をもたらす。したがって,人間が正常で幸福な生活を営むためには,さまざまな面における清浄性が追求されなければならず,宗教的活動はミソギ・ハライといわれる不浄祓いの儀礼が発達した。そして,不浄性は具体的に死や妊娠・出産・月経などにまつわることがらと結びつけられ,さらには社会的混乱や反社会的行為もまた不浄とみなされる。
【浄・不浄の価値観と社会的価値観】日本においては宗教的価値観が社会的価値に影響を与える結果をもたらす。妊娠・月経を経験する女性が宗教的のみならず,政治的・社会的に劣位に置かれ,反社会的行為は宗教的にも「罪」とみなされ,天皇は神とされることによって清浄を具現するものとして,その政治的・社会的地位を数多くの社会的変動にもかかわらず保ってきた。あるいは「不浄」と指定されたものとかかわる職業に従事する者を,社会的に下層に置いてきた。なお,浄・不浄の価値観の普遍性はそれが人間の感情にはたらきかける力の強いことにもよる,と考えられる。