●浄土教(日本) じょうどきょう
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阿弥陀仏の浄土に往生することを説く教え。浄土教では浄土に往生することに教えの重点が置かれており,往生してから成仏することを目的とする。浄土には阿弥陀仏だけでなく,多くの仏菩薩の浄土「弥勒浄土・薬師浄土・観音浄土など」があるが,中国・朝鮮・日本では,阿弥陀浄土の信仰の普及により,一般に浄土教といえば阿弥陀仏の浄土に往生することを言うようになった。漢訳一切経のなかでは290部余,約三分の一の仏典が阿弥陀仏と極楽に言及する。なかでも『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』が有名であり,日本では浄土三部経と呼ばれ,また『般舟三昧経』も浄土教信仰に大きな影響を与えた。浄土教の起源は,100年ごろ北西インド地方であると推定されている。まず『無量寿経』と『阿弥陀経』が編纂され,かなり遅れて『観無量寿経』が編纂された。これら浄土経典にもとづき,竜樹が『十住毘婆娑論』,世親が『無量寿経優婆提舎願生偈』を著し,浄土教思想を組織的に解明した。中国へ阿弥陀仏に関する経典が伝えられたのは2世紀後半で,その後,浄土経典が次々と漢訳されるに従って浄土教が盛んとなった。4世紀になると東晋の廬山に慧遠が出て,僧俗123人とともに念仏団体をつくり,『般舟三昧経』にもとづく浄土の行業を実践した。慧遠は中国浄土教の始祖と仰がれる。ついで北魏に曇鸞が出て,『浄土論註』を選述し,空思想をもって浄土教の教理を基礎づけた。隋・唐代の浄土教は,末法・五濁悪世の凡夫の救いとして説かれた。道釈は『安楽集』を,その門下の善導は『観無量寿経疏』4巻を著し,中国浄土教興隆の一期をなした。 朝鮮の浄土教は『観無量寿経』を中心に新羅時代に発展したが,日本には7世紀の初めごろに伝わった。正倉院文書によれば,浄土教関係の典籍も多く伝来・書写されており,学僧による研究・注釈が注目される。奈良時代には,浄土における仏菩薩や荘厳の有様などを描いた智光曼荼羅・当麻曼荼羅といった浄土変相図の制作が行われた。平安時代に入ると,円仁が中国五台山の法照の五会念仏の法を伝え,比叡山東塔に常行三昧堂を建立し,以後良源・千観・禅瑜などにより浄土の教義・思想が説かれた。10世紀ごろの社会的変動や末法思想の浸透により,貴族をはじめとして一般民衆にしだいに浄土教が信仰されるようになった。985年(寛和1)源信が往生浄土の要文を集録した『往生要集』を著したことにより,厭離穢土・欣求浄土の信仰は高まった。また良忍は融通念仏を説き,大原隠棲後は魚山流の声明を大成した。市聖とか阿弥陀聖と呼ばれた空也は,浄土教信仰を民間に広めた先駆者であるが,浄土教の民間普及には聖や沙弥の果たした役割は大きい。平安中期ごろの慶滋保胤の『日本往生極楽記』を最初として,往生の現生を集めた往生伝がつくられた。比叡山を中心に発達した天台浄土教とは別に,南都〈奈良〉においては,法相宗・三論集のなかに浄土教が展開した。三論宗の浄土教家である永観に『往生拾因』,珍海に『決定往生集』があり,善導流の念仏の影響がうかがわれる。真言系浄土教は高野山を中心に発達し,院政期に覚鑁・実範が出て真言念仏を広めた。平安末期から鎌倉時代にかけての政治・社会の変動のなかで,善導・源信の影響のもと法然が出て選択本願念仏義を唱え,1198年(建久9)『選択本願念仏集』を著し,浄土宗の思想と教義を確立した。法然はまた,各地に散在した念仏聖・念仏上人たちの収攬者としても位置づけられる。法然の弟子親鸞は『教行信証』において,信心為本・他力往生の思想を強調し,遊行聖の特殊な形態である一遍の時衆〈宗〉は,全国各地を念仏遊行した。現在浄土教系の教団として,浄土宗・西山浄土宗・浄土真宗・融通念仏宗・時宗が存在する。〔参考文献〕望月信享『浄土教の起源及発達』1930,共立礼(1977,山喜房仏書林再刊)
石田充之『浄土教教理史』1962,平楽寺書店
日本仏教学会編『仏教における浄土思想』1977,平楽寺書店
速見侑『浄土信仰論』1978,雄山閣