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●定朝 じょうちょう

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 ?〜1057(?〜天喜5) 平安中期の仏師で康尚の子。藤原道長発願の法成寺の金堂および五大堂の諸仏を造った功により,1022年(治安3)法橋の位を授けられた。これは仏師の僧綱位補任の初で,爾後仏師の地位を向上させるもととなった。その後朝廷・藤原氏の命により多数の仏像を造ったが,藤原頼道発願の宇治平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀像が,定朝作の最も確実なもので,その円満な相好と安定した姿勢は,藤原時代の日本的仏像の典型となっている。この像はまた後世木造彫刻の一基準となった寄木造りの法によっており,定朝が同技法の完成者と見られている。また奈良時代仏像制作を担当した国家的造仏所が解体し,仏師は大寺院に所属したが,これら仏師の協同組織たる仏所の整備は定朝に始まると見られている。後世有力な七条仏所三条仏所七条大宮仏所等は,それぞれ定朝の子覚助・定朝の弟子長勢・定朝の孫(覚助の弟子ともいう)を祖とする。