●尚氏 しょうし
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1406年(永楽4・応永13),尚巴志は察度王統を滅ぼして父思紹を王位(中山王)につけ,1429年(宣徳4・永享元)には北山と南山を滅ぼした。こうして琉球に統一国家が成立した。7代にわたる王統は,1469年(成化5・文明元)の尚徳王の死により跡絶えた。その翌年臣下の金丸が王位について尚円を名乗り,王統は琉球藩王尚泰まで19代続いた。先の王統は第一尚氏,後の王統は第二尚氏と区別される。第二尚氏第7代尚寧王のとき(1609・万暦37・慶長14),琉球王国は島津家久の軍事的侵入を受け,その後は1879年(明治12)の琉球所属問題解決の時点まで,日本と中国とにいわば両属する関係にあった。第二尚氏最後の王尚泰は,1847年(道光27・弘化4)6歳で王位を継ぎ,1872年(明治5・同化11)の琉球藩設置時に藩主となり,後に侯爵に叙せられた。“尚”姓は,1425年(洪煕元・応永32)に巴志が明国の冊封使を迎えた折に与えられた中国名である。