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●襄公 じょうこう

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 在位前651〜前637 中国春秋時代の宋国の君主,名は慈甫(父)。宋国は殷朝の一族,微子啓が殷の故土商(河南省南邱県)に建てた国で,殷の文化を伝えていた。父桓公の没後に,庶兄目夷を相として君主となる。斉の桓公が没すると覇者になろうとして,斉・滕を破り,曹・チュ※注1※と会盟し,前639年(襄公12)春,斉・楚と自国の鹿上(安徽省太和県)に盟し,秋には諸侯と孟(河南省雎県西北)に盟したが,この時に楚に捕えられその後に釈放された。前638年(襄公13)冬には,楚と泓(河南省拓城県)に戦い,その時に目夷は,楚軍がまだ陣を整えないうちに撃たんことを勧めたが,襄公は,君子は相手の阨(やく)に苦しめるのはよくないとして攻めなかったので,かえって楚に敗れ,“宋襄の仁”といって,後世に悔いを遺し,襄公はその時の戦傷のために没したのである。なお襄公は五覇に数えられる場合もある。

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