●ジョヴアンニ=ディ=モンテ=コルヴィノ
AD1247
1247〜? アジアで活躍した教皇使節,イタリア=フランチェスコ会修道士。若くして同会に入り,中東アジアを旅行したが,子供時代は知られていない。1287年アルメニア国王への使節として教皇庁内に姿を現す。教皇ニコラウス4世は彼からの報告を受けて,その返書を差し出しただけでなく,彼に“カタイ(中国)”での布教の使命を託した。彼はどの路を通ったかは不明だが,ヴェネツィアまたはアンコーナ・アンティオキア・アルメニア・ペルシア・インドを経て,1294年中国の北京に到着。マルコ=ポーロ父子に次いで中国を訪れた伝導師となる。教皇の書簡を大汗に見せ,教会を建設し,ネストリウス派の天竺の君主を改宗させたりしたが,どれだけのキリスト教徒が誕生したか,また大汗を改宗させたとも語られるが不明である。1305年クレメンス5世が彼の報告を受けて7人の使節を派遣し,彼を最初にして最後の“全オリエントの大司教”に任命した。1328年ごろ没したともいわれ,彼の残した旅行記は当時の中国や他のアジアの事情を伝えていて貴重である。