●荀子 じゅんし
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前340〜前245(粛侯10〜孝成王21)(銭穆説)。中国戦国末期の儒家。諱は況。荀卿は尊称で趙の人。50歳のとき斉に行き,斉襄王死後,稷下の学の長老として祭酒に任じられた。中傷をうけて斉を去り,趙・秦に遊説したのち楚の春申君の庇護下に蘭陵令となり,春申君死後解任され同地に没した。『荀子』32篇は前漢末の劉向の校定になる。後学の著作である「大略」以下10篇を除けばおおよその自著であろう。荀子は人間の本性を善悪を備えないものとし,社会生活における人為の必要性を説く(性悪説)。この人為が礼楽であり,その制定者である後王は統治のために尊重されるべき存在となる。孔子の仁の主観的発展の最左翼が孟子であり,子夏に始まる客観的発展の最右翼が荀子である。その門下より法家の韓非・季斯が出たのも偶然ではない。そのほか,天人分離思想や認識論・論理学的所説など注目すべき学説が多い。『荀子』の注釈には唐のヨウリョウ※注1※の注があり,清朝考証学では王先謙の『集解』が代表的である。
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