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●遵義会議 じゅんぎかいぎ

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国共産党が長征(大西遷)の途上,1935年1月,貴州省の遵義において開催した中央政治局の拡大会議。この会議以前における中国共産党の指導権は,陳紹禹・秦邦憲らが掌握していたが,その革命指導は都市革命重点主義であり,また,コミンテルン軍事顧問リトロフもこの立場に立っていた。これに対し毛沢東は,農村革命重点主義をとり,反革命勢力に対する戦術としては,正規戦より遊撃戦を主張したが,まだ主流派ではなかった。瑞金の陥落や長征途上における軍事指導の失敗は,毛沢東の主張を認識させることとなり,この会議において毛沢東の指導権が確立した。この会議は,中国共産党の指導権がロシア留学生派であった陳紹禹らから毛沢東に遷り,中国共産党による革命が新しい段階に入っていく転機となったものであり,その意義は重要である。この会議後,紅軍は毛沢東の方針によりさらに長征を継続し,延安に抗日闘争の革命根拠地を建設するにいたった。