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●シュリーマン

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1822 ドイツ連邦

 1822〜1890 ドイツの考古学者トロヤ・ミケーネ・ティリンスなどギリシア先史文明の発掘者と呼ばれる。北ドイツのメクレンブルク=シュヴァーリンのノイブコーに,貧しい牧師の子として生まれた。幼少時代に受けた父親の影響がのちの彼の人格を形成し,彼は“古代への情熱”を生涯もち続けることになった。彼の不幸な青年時代,乗り組んだ船の難破と奇跡的な救出,収入の大半を費しての異常な語学独習と,そこに表れた天才,ペテルスブルクでのクリミア戦争景気による商売繁栄,相次ぐ幸運による蓄財,これらの経緯は彼の自伝に詳細に語られている。少年期にホメロスの叙事詩の挿絵入りの本に接して,その異常なリアリティーに魅了されたシュリーマンは,30歳半ばには事業から手をひき,トロヤ発見の夢の実現に踏み出した。彼はギリシア語を学習し,ホメロスを自家薬籠中のものとした。こうした準備を彼は実業家らしく計画的に行った。彼が当時の定説に反してヒッサリクの丘をトロヤと認定し,発掘を開始したのは1871年のことであった。発掘には若いギリシア人の妻ソフィアが同伴した。彼女はこののちシュリーマンの学問的業績のまとめ役として重要な位置を占めることになった。発掘は今日の常識からはきわめて乱暴な方法で行われ,多くの遺跡を破壊しながら,1873年“プリアモスの宝”と彼が考えた莫大な財宝をもたらした。トロヤ発掘は彼の死まで何度も行われ,しだいに正しい歴史を提供してくれるようになった。この他に,シュリーマンはミケーネで獅子門の内側にある王墓群を発掘し,トロヤ以上の財宝を発見した。つねに彼の発掘に財宝がついてまわったことは一部の学者の偏見のもとにもなり,トルコ政府との対立のもとになったが,「偉大な素人」としてのシュリーマンにはむしろ似つかわしいことであった。彼の学問的業績は幾冊かの書物にまとめられて出版され,エーゲ文明史の出発点となったのである。