●聚楽第 じゅらくだい
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豊臣秀吉が京都に築いた邸宅。1586年(天正14)2月21日に自ら土地を定め,23日に縄打ちを行っている。材木を諸侯に課し,樹木や庭石を社寺から集めて造営され,翌年9月13日に秀吉は大坂城から聚楽第に移った。秀吉は1588年4月14日から18日までの5日間,ここに後陽成天皇の行幸を仰いだ。1591年に関白を秀次に譲ると,聚楽第も秀次の居所となったが,1595年(文禄4)7月に秀次が謀反の疑いによって高野山に移されたのち8月には完全に破却された。現在,西本願寺の飛雲閣をはじめ聚楽第の遺構と伝えられている建物が何棟か存在する。しかし,それらにはいずれも確かな証拠はなく,確認されたものはない。聚楽第の全貌を伝えているのは屏風に描かれた鳥瞰図だけで,それらから天守のそびえる城郭であったことがわかる。平面図は岸上家の大工書に描かれている大広間の指図があるにすぎない。